シーちゃんと

時々はシーちゃんとこっそり泣こう

お城はどこだ

朝の雪

わたしの念力で溶かした

 

ウソだけど…

 

昼前には溶けてて

やっぱりホッとする

こんなことでどうするのだ、今年の雪片付け

助けてくれる皆さんの車が停められなかったら

ママはどうする!

なんだけど

 

雪のない

楽ちんな1月

 

 

ウソ

の話で…

こころが傷ついて

それは、ママの認知症がらみだから

しばらくは、苦しみそう…

 

まあ、ママが突然にしゃべり出す、いや

しゃべり出せるうちは、きっと思い出して

嫌な気分になるんだろうなあ、って

 

忘れられないこと

あなたは、どうする?

 

 

思ったのは

世間一般的にも、認知症というものが

よく理解されないままに、ある決めつけをされてて

拒否反応というか

受けつけないというか

 

専門的な識見があるためか

単にその人の個人的見解かは

わからないけど

 

認知症でそんなこと、あるわけないだろ

という、疑い以上の

否定?怒り?

を、あらわにする人がいる、ということ

 

ママのように一見、ほぼ意思の疎通が取れないかのようでいて

家族や、あるいはママが気に入った相手には

突然、文節のつながりもほとんど破綻せずに

すらすらと一文を話す

ということがあった

 

わたしが、いつものように

ママにへらへらと一人でしゃべっていると

ママが、急に

スラッ、と、話す

 

 

言わば、降りてきたか?

みたいに

 

 

な、何ですとっ!?

的に

 

普通か、普通以上の

難解だったり、詩的だったりする表現で

しゃべり出すことが

時々あって

 

神のお告げでしょうか?

とは、思わないけど

 

言葉が全部消えちゃうんじゃないんだなあ

 

と、余計に

常には、しゃべれないことが哀れになったりして

 

駄目!ママはいま楽になっている途中!

と、自分を叱ったり

 

 

わたしにしたら

神さま仏さまを信じて、朝夕神仏を拝んで生活していたママだから

さもありなん

ではあるけれど

 

あ、こういう状態か、と

一見してママを見切ってしまえば

その人には

ママは何も話さないし

 

知る由もない

 

わたしはバカだから

そういう人にも

うっかり

そんなママ語の話してしまったりで

 

ウソつき

 

もしくは

 

キチガイ

(これ使っちゃいけない言葉か…自分のことだから、堪忍して)

 

な、扱いに変わる、という

現実

を、知った

 

認知症とは、その扱われ方が、悲哀極まる病だと

何とかして

自分は逃げ切るぞ、と

かたく決心もした

 

ママの

最後の言葉を聞き取る

ママの尊厳を守る

そう決めた

 

ここでも

ウソつき、キチガイ妄想性人格障害

何と思われても仕方ないんだろう、って

こころねじくれる瞬間が、ままあるが

 

ママありき

の、ブログ開始、だし

ママありき

の、ご縁により

ママはお家に帰ることが出来て

わたしの願いがかなったんだから

 

そこからの

こころ模様

 

ママとわたしが

一生懸命に

生きている

 

伝えたくて

 

 

キチガイ!って思うことも

自由だもんね

シーちゃんと!

だし

 

なんだか、大したことない、って

 

傷ついた、なんて

 

言わなくていいな

傷は浅いぞ!

って

 

思えてきたよ…

 

書いてみるもんだね

 

 

 

 

みんな

 

みんな

 

おしろを

 

まもらねば

 

 

 

今朝の、ママ語は

 

武士?

 

大好きなアシガールみたい

 

 

ママのお城

守らねばならぬ

しばし…

 

 

後には

わたしは自分のお城、自分で見つけねばなりませぬ

 

一畳

あれば

よいとか

禅の考え

 

 

やはり

安居であろうかのう…

シーちゃんとゆくか?

 

 

あなたのお城

 

平和に

 

おしあわせに

 

 

お城探しの

夢見て

 

眠ろ…