シーちゃんと

時々はシーちゃんとこっそり泣こう

あの時のわたしが

泣いた

また

 

霧雨降るなかを

走って

いちばん近いスーパーに行った

夕方

閑散とした店内

トイレットペーパーは売り切れ

学生さんのカップルが

途方にくれてた…

 

買うべきもの

ほしいものなんてないのに

 

走りたかった…

体が

動け、って…

 

シナモンパウダーとバナナを買った

 

 

焼きつくような

追いたてられるような焦燥感に

ずっと

こころの多くの部分を支配されてるんだ

 

あの時の

泣いていたわたし

まだ

 

お家のおんなじあの場所

台所のそこに

 

それから

 

凍える風のなか

あの夜の

おんなじ場所に

 

いるみたいで

 

泣けてきて

どうしようもなくなるんだ

繰り返し

何度となく

あれから…

 

何年過ぎたの?

もう

パパは天国へ行ったんだよ…

今朝は

泣きながら目が覚めた

 

親の病

介護、本当に重い

命が重いんだから、当然なんだけど

 

これから両親の介護が始まるという時

弟が言った言葉

 

ぐさり、と

 

 

『その時』

が来たら

弟の言葉のとおりに

わたしが介護しよう、と

 

絶望と悲しみと

際限ない喪失感と

いっしょくたに

ずっと、そう自分に言い聞かせて

生きて来たよ…

 

いつか

 

また昔みたいに

子どもの頃みたいに、いっしょに

くったくなく笑ったり

 

この

いま苦しい息を吐いて

必死に眠ろうとしているママを

 

いっしょに

思い出として、穏やかに語ったり

 

そんな時が

来るんだろうか…

 

 

言葉

わたしに刻まれた言葉

あの時のわたしが

 

亡霊みたいに浮游してる

捨てても捨てても

いらないものだらけの

だだっ広いこのお家に

ママとわたしが二人きり

 

わたしは泣いてる

また

 

ママは

命には別状無しという

苦しい苦しい呼吸をしている

 

今夜

一日の終わり

今日も無事に終わろうとしていて

夜は、天国に近づいてゆくから

 

きっと祈りも届くよ

 

泣くな…

わたし

 

弱い弱いわたし

あの時のまんまのわたし

進歩ないよ…

悲しい

馬鹿なわたしだよ

いつまでも

 

入院中のママの担当の

やさしい先生が書いてくれた同意書

在宅介護について

「独力でも不可能ではない」

という一文があるの

 

こころの支え

 

ひとり介護の人は、わたしの他にも大勢いる

 

どこかのそういう人と

何かの導きで、すれ違ったこともあった

 

その人には夫もあり家族もいたのだけれど

介護はほぼひとりでこなした、って

お寺の位牌堂で

ぶつぶつとつたない般若心経を唱えているわたしの横で

ご夫婦で正座をして、いっしょに手を合わせてくれた

その後に介護の話をしてくれた

 

お寺通いしてた頃

お相撲している兄弟と

彼らの叔母さんとお友だちになったりした

会いたいな…

 

ママは信心深く

やさしいんだ

おばあちゃんが施設で

ひとりで亡くなったのを

かわいそうって言ってたね…

 

「恥ずかしい…」

こないだママがそう言っていた

 

わたし看護師さんに許可してもらい

医科向けの浣腸の処置やら、みんなやって

ママが恥ずかしくないように…と

 

認知症を自分で覚悟して

自分から施設に入ると言ったのは

きっとパパのお世話になるのが

恥ずかしかったんだね…

 

もう

わたしがそばにいるからね

もう恥ずかしくないからね…

 

あの時のわたしがいるんだ、まだ

だから

むなしくさみしいのだろう…

わたし

なかなか成長しない…

 

でも

ママのおかげで

どうにか今日も生きているから

 

こんな頼りない娘で申し訳ないんだけど…

 

 

こころ

傷ついたこころ

わたしは

言葉に

弱い

 

でも

同じように

言葉に

支えられている…

 

生きようと思う

生きて、かならず

生ききる

 

生きるんだよ

わたし

 

ねえママ

 

ねえ…

シーちゃんと

ママと

 

また明日

 

明日

笑って 

おはよう!言うよ

 

言えますように…

 

 

ありがとう

 

 

おやすみなさい