シーちゃんと

時々はシーちゃんとこっそり泣こう

人は何のため生きるんだろう

往診の先生も看護師さんも

お元気だった

 

よかった

本当に、よかった

 

わたし脳天気かもしれないし

考え方として時勢に合わず、いけないのかもしれないけど

 

こんな世界的なコロナウイルスの恐怖のなかで

医師になりたてな人たち(子どもたち?年齢はいってるけど…)が

渡航して遊興したり

大勢集まって会食したということは

 

あってはいけなかったんだけど

確かに、意識が低くて考えられないことなんだけど

 

 

もう、起きてしまったことで取り返せず

そこから

 

クラスターが発生したり

死者が出たり

 

その子どもたちが

想像出来なかった悲惨なことには

どうかならないように、って

ずっと

祈っていた

 

往診の先生が、同学年のタマゴ先生連れて

ママの診察にも参加させていたりしたから

余計に

そう、心から祈っていたんだ…

 

とにかく

先生がお元気で安心したよ…☺️

 

 

最短で24歳、という研修医の

24歳の意味って

 

ごく普通の社会人の同じ年齢とは

自ずと、違って来なくちゃいけないんだろう

 

世界的不幸な時勢に、その序章の時に

医師という自覚があれば、起きなかったことだった

自ら志して医師となるべく頑張って

やっとスタート地点に立ったばかり

これからだもの…

 

みんなみんな、元気でいてほしい!

 

 

白菊会という、全国の大学医学部に

死んだら献体として解剖研究に使ってもらう会があり

ひとりのわたしは

幾度となく、入会しようかと考えて、今も考えている

 

病や、アレルギーにあって

ままならない人生の時間が多くあって

先日も高額な保険外治療で

歯科金属のパラジウムをようやく除去したばかり

アレルギー症状は、まだ消えていない

 

金属アレルギーでも保険が適用にはならない

健康なら金属は何ら悪いものでもなく

アレルギー体質のせいで、仕方ない

 

 

献体を希望することは、死後のこととはいえ

なかなか勇気がいる

考えても、よく意味のわからない不安が

二の足を踏ませている

 

その不安とは

 

あるまじき、心底がっかりするような

そのような状況に

死体になってまで曝されるのではないか?

というもので、これもよく訳がわからない

 

介護のお世話になるということからも

自分で自分のことが出来なくなるということからも

一生、逃げ切りたいという

その一心で

節制や、マイルールがある

 

十代からの病や弱い体質と

もともとの性格とが相俟って、今のわたしになった

強い人には、強い人の人生がついてゆくんだろうか?

弱い自分は、弱いなりに

自分なりの健康を、日々模索しながら生きている

 

死んでお役に立とうという献体

 

医学を志す人たちは

そういう、もう生きてはいないけれど

これからの一生を医学に捧げてくれる尊い若者たちのため

清らかな魂となって、その身を呈した遺体と

何ヵ月かを共に生きた人間だけが知りうる

考えうる、言わば境地のようなところへ

到達するのではないか…

 

いわゆる

並の人間じゃない

並の24歳じゃない

 

と、勝手に考えていた

 

自分なら

何も思わずに淡々と解剖したり

その切り取られた小さな細胞で研究したり

とても出来ないと思うから…

 

でも

一部の人間が

すべてじゃないし

 

みんな

おんなじ人間だから

 

とにかく

みんなが無事で

 

不幸の連鎖が

起きないように…

 

祈っていたんだから…

 

 

 

先生!☺️

元気で、本当によかった

 

 

そして今日は

そんな先生が、ママの昨日の

「鼻のこれ取って!😽」発言と

 

先日のチューブの抜去事件から

 

強制栄養が、次なる段階に来ていること

これからのことを考えていかなくちゃいけない

となって

 

胃ろうが可能であるか、過去の検査画像を

カルテで確認してくれた

病棟の先生の、胃ろうは解剖学的に不可能と思われる、という

カンファレンスの時の同意書も読んでもらった

 

もしかして、今まだ出来る余地があるのなら…?☺️

 

心がまた揺れ動く…

抜去は、わたしのうっかりミスのせいだ

昨日の看護師さんへの訴え

「鼻のこれ取って!😽」は

 

この間抜かせてしまったから

気になって仕方ないんだ、と

栄養自体を嫌がっているのではないことも、先生に伝えて

 

画像は、わたしみたいな素人が見ても

お腹の表面近くに、胃が来ている状態が、少なく

危険そうに思われる

 

 

そしたら先生

 

いつか、ママの見張り番のわんこ先生を

「わんこ、好き?嫌い?」で試したように

 

鼻のチューブは、嫌か、どうか?

 

生きるためにはチューブが必要だけど

それでもチューブが嫌なのか、どうか?

 

もう無理に栄養しないで、自然にまかせたいという気持ちが

あるか、どうか?

 

栄養をして、生きたいか、どうか?

 

 

などを

 

ママにゆっくりと

真剣に

聞いていった

 

すべてに

うん、うん、は

やっぱり

してはいなかった

 

考えて

悩んでいる時は

いつものように、瞬きを繰り返す

 

チューブは、嫌

 

栄養はしたい

 

生きたい

 

ママは、しっかり先生に答えた

 

 

食べることを

最後まで、頑張らせてしまったのは、わたし

わたしからしか食べない状態を

食べられる、とは言わない

飲み込みも悪くなって、危険だった

にもかかわらず

 

お家に戻ってからも

限界まで食べてもらった…

 

わたしが、一方的な思い込みで

ママを頑張らせているのではない

とあらためて、またわかって

 

ママ

ありがとう☺️って思った

 

先生にも

ありがとう、と

 

うれしい…🐱

おもしろい…🐱

 

って、言ってくれるもんね

たとえ、これから

何にも言えなくなっても

 

自分から死にたいというほどに

 

苦しくはならないのではないか?

たとえ苦しい時が来たら

その苦しむ精神に、心に

自然と体が添っていくのではないか…?

今は、思っているけど…☺️

 

 

先生に

いつものように笑って

普通に暮らします!☺️と言った

 

この先を考えられるほどに

今まだママの余力があること

それだけでも十分

 

たとえ胃ろうが、不可能でも…

 

だけど!

誰だって

鼻のチューブ苦しいぞ!!きっと

 

でも

それでも

生きたい時は生きたいぞ!!☺️

 

もう、これでよし😽

と、なれば

わたしはわかってあげられるだろう

そしたら

 

たくさん悩んでみよう

とにかく

今はママちゃんとわかって

しっかり伝えてくれている

わたしにも

 

先生にも

 

 

わたしも自ら選択して

限界まで栄養して

生きよう!☺️なんていう

 

心境の変化いつか

あるのかな?

 

ひとりで??

すごい命汚い?

何のためだ?それ

 

もしそんなことあるなら

ただ

生きたいんじゃないか?

 

とにかく

命があるなら生きて

自分を見つめて

生きる、を見つめて

 

生きたいのが

人間じゃないか?☺️

 

方法はみんな

違ってても…

 

 

何の答えにも

ならず…

 

 

ママ退院の時、病棟の看護師さんたち

娘さんはまだ若いから

自分のしあわせも大事にして!

 

って言って、心配してくれた

 

しあわせは

今日

 

生きてること

 

先生も

どうやら病院の皆さんも

お元気そうなこと…

 

この大変な局面に

頑張ってくれていて

 

わたしも頑張って生きる!☺️って

ママだって頑張って生きている😽って

 

 

何かを始めるには

ちょっとへこたれてる

ダメダメなわたしだよ…

 

ママ

生きたいね…

わたしも

もっと

 

も少し

生きたくなった

 

願いを

 

希望を

 

夢をもって

 

祈って

祈りを捧げて

 

 

生きよう!☺️って

今日も生きている

 

 

明日こそ

ちょっと元気になりたいな

ねえ

シーちゃん…

 

体位変換だよ

ママ

明日の予定は

業者さんからお断りの電話…

 

発熱?待機?

大変そうな声だよ…

 

 

 

どうか

疲れないように…

ゆっくりと

 

明日も

 

頑張れますように…

 

元気になれますように

 

おやすみなさい