シーちゃんと

時々はシーちゃんとこっそり泣こう

育つもの育てるもの

クローバーは

声を上げていた

わたしという

見知らぬ大きな?☺️人間に

(大きくないけど…クローバーにしてみたらということで…)

 

クローバーはおろか

草をすべて

根こそぎ抜きにきたであろう人間に!

 

ここです…🍀

わたしは

ここにいます…🍀🍀

 

って

 

なんて☺️

 

でも

そう思ったの昨日

 

決して幻聴ではないので

怖がらなくて大丈夫☺️

 

 

あれから大変だったから…😒

 

今日もまだお腹痛いがつづき

お腹壊しがつづき

 

もうおしゃべりはできなくなったのに

うなされて

 

いたい…😽いたい…😽

がつづき…

いまも

 

それで今日は

訪問看護

お休みさせてもらった

 

調子が悪くて看護をお休み

って

変だよね?

変なんだよ…

 

 

往診の先生が言っていたように

訪問看護の看護師さんたちが

一律とまではいかなくても

おおよそ

指導の内容が同じようなら

 

かなり迷いは減るんだろう

と思うけど

 

これも

往診の先生の言葉だけど

 

見ている人がよいと思われることをやる

 

というのも

本当にそうだなあ

そうするしかないしなあ

うなされながら眠るママの隣で

いろいろ考えていた

 

いよいよわたしが弱るなり

倒れるようなことにでもなれば

ママとわたしが助けてもらえるのは

病院だ

ママを入院させてくれる病院

 

そうなると

以前に言ったような

「医療」が施された状態でなくては

長期には

つまり終末まで入院はできない

ということである

 

 

わたしは

とにかく倒れないように☺️

 

ママは 

とにかく少しでも

ほんの少しでもいいから

苦しくないように

わたしとママの

最高の目標なのだ

 

 

看護師さんから 

「もう治そうと思わないで」

 

とか

あえてつけ加えて言われることが

まだいまでもある

お家に連れて帰ったいま

でもだ☺️❗

 

言葉で聞いてしまうと

 

おや??☺️

わたしまだ治そうというような

攻めの介護に見えるのか?

と驚いたり

 

ええっ?わたしってもしかして

深層心理はそうなのか?

とか

 

そんなことないし

 

いらない葛藤が始まったり

 

何にも伝わってないのだな…😿

しょんぼりしたり

 

 

人間関係をつなげて

信頼を育てるということは

とても大切なことだ

そして 

最も難しいこと

 

家族でも友人であっても

難しいのに

 

こんな気持ち

誰にも伝えられない

伝えられる人もいない

ひとりぽっち

 

だから

 

ここで

あのクローバー🍀の赤ちゃんたちみたいに!

 

ママとわたし

ここにいます😽☺️

ここで生きてます😸☺️って

 

言ってみたかったかなあ?

 

 

姉上様も

これ見て生存確認してくれているらしい

弟にも伝わって?

いるのか??

わかんないけど

 

 

わたしは眠れない長い夜や

苦しいママの隣にいるしかない

自分という小さな存在を

ひたすら見つめながら

ママのお世話する日々を

 

絶望なんてしないで

自分というもの

命というものから

 

逃げないで

何とか自分らしく生きてやろう!!☺️

という

 

さあ!

これからどうする?という

そんな気概を発生させてゆく

原動力として

こうして

ママとわたしの今日を書く

それから

わたしがわたしになった

これまでの

懺悔?☺️と…

 

こんなヘンテコな介護生活が

誰のためにもならないので

申し訳ないんだけど…

 

こうやって

ひとりで生きるわたしは

本当に変わっているようだ

わかんないで生きていたよ☺️

群れがなく

比較しないから

わかんなかったよ

 

誰かと関わると

それで孤独を余計に深めても

何とかそれでも

必死に生きてゆくとしても

 

わたしのなかで

育つものはあるなあ

前向きな思いにも気がつく

 

うまく言えないけど

単純じゃないけど

 

ひとりぽっちでも

ちゃんと考えてよいと思われることを

つなげていけば

小さい変化でも

それなりの成長はできる

 

どんなに素晴らしい人間関係があろうと

考えなしに気づくことなしにいたら

自分だけ取り残されてしまうんだろうなあ…

かつて自分がそうだったから

わかること…☺️

愚か者だよ… 

 

決して後悔ではない

わかったんだから❗😸

 

そして

これも後悔でなく

わかったこと

 

ママの終末について

できれば

姉弟三人で話し合い

加えて

カンファレンスでも姉弟三人参加して

十分に話し合い

それから

こうしてお家の看取り介護していたなら

もう少し

気持ちは晴れて

 

 

弟を追い返すこともなく

もう少し早めに

いまくらいの心境に

到達できていたかもしれない

でもこれだって

ここまでのこころに

気持ちに

たどりついたということだから

 

過ぎたこと

だが

まだ終わっていないこと

ママを見送るまでは…☺️

 

みんな忙しくて

大切な家族がいるからね

一日は貴重

わかってるし

 

訪問看護の現実も

わかっている

 

 

難しいよ

人間は…

 

生きるのは

難しい

 

だけど

死ぬのは

天国へゆくのは

さらに

難しいようだよ…☺️

 

当たり前のことなのに

難しい人生の終着

 

どこか北欧で

年配の女性一人暮らしで

 

お家でベッドから起きれなくなり

一日二回看護師さんが訪問して

様子を見て

 

たぶんその女性の

最後までお家で過ごしたい

という意向があって

そうしていたのだと思われるが

 

栄養とか何の処置もなく

(衛生的なことは確実に行われているだろうが…)

お家でひとりで

静かに

その人はひたすら眠っていた

 

 

福祉先進国が多いというイメージと

大きく異なる現実とも感じたけれど

 

日本人の考えるしあわせな終末と

その北欧のどっかの国の人たちが考えるしあわせな終末は

違ってて当たり前だしなあ…☺️

と思った

 

何もできなくなって

眠るのは

当たり前だ…

 

病を与えられ

機能が衰えて

ここがゴール医療の限界となれば

当然のことだ

 

 

たくさん読みあさった脳の本

 

自分の病からずっと読んでいた

エリザベス・キューブラー・ロスの本

 

 

生きることは死にゆくことではないのだが

おおよその残り時間がわかって

死に向かってゆく時

人間は二分されるようだ

 

絶望せずに生ききる人

いろんな思いに乱れる人

でも

寄り添う誰かがいたら

やがてはこころ静かに受け入れ

絶望しなかった人と

同じように

 

自分を愛おしみ

自分の人生を愛おしみ

そばにいてくれる人を愛おしみ

天国へゆく…☺️

 

パパも

すったもんだありながら

その経過をたどって旅立った

 

アルツハイマー病のママだけど

こころも愛の記憶も残るらしいと

書物から裏付けをもらって

 

そうなんだよ…☺️

わたしが妄想性人格障害???☺️

じゃないんだよ…💫と

安心したし

 

ヘンテコだけど

普通の生き方じゃないけど

正常な精神

むしろ

強靭な精神だと信じて

ママの隣にいるよ

 

笑って☺️

歌って❗🎵

 

もう少しレパートリー増やそう…

姉上様にCD買ってもらおう

 

そういえば

洋服なんて言ってる場合じゃなくて

今日はコントの囚人?☺️みたいな

デカイしましまTシャツに

デカ過ぎるダボダボのジャージでいたら

 

ママがゲキ見❗して👀

 

かなしそうなお顔になったよ…☺️

残るんだね

美意識は…

いつもは白Tシャツや白シャツだもんね…

 

 

風邪っぽいけど

いっぱい食べてのりきろう

運動は体中痛いからお休み

雑用とお洗濯ガンバる

さあ!

シーちゃん🐱

ママのお世話だよ~

 

 

育てるもの

見つけた

シャコバサボテン!!

でも植え替えは春なんだって…

 

挿し木はできなくもなさそうな??☺️

いろいろ準備したら…

 

シャコバサボテンって名前が

シャコから来てる?って

クリスマスカクタスって別名が

ロマンチックだよね…☺️

 

増やせるか?

これからのお楽しみ

 

ママの不調から

自分に向き合った…

体痛い…☺️

 

ありがとう

 

この湿度

この気温差注意だよ!☺️

風邪引かないでね

 

ガンバるからねっ!