シーちゃんと

時々はシーちゃんとこっそり泣こう

笑っていない自分に気づいた

ふと

鏡を見た

 

怖い顔

厳しい顔したわたしが

 

わたしを睨んだ

 

笑っていない

笑えない自分なんて

 

 

ママがいたときには

考えられない

 

そしたら

また

涙があふれた

 

嗚咽になって

しばらく泣いて

 

それから

足りないものを買いに

スーパーに走った

 

食品の宅配は止めた

明日空きケースを回収してもらったら終了

仲良くやさしくしてもらっていた担当さん

明日はお休みなんだって…

 

電話の窓口の方に

よくよくお礼をして

感謝の気持ちを伝えた

 

もうママは天国へ

 

ママのサービスも

往診も訪問看護も終わって

 

わたしには

友人ひとりいるわけではないから

 

ひとりぽっちの生活

誰とも話さない

孤独が

もどってくる

 

もどってきた

 

 

わたしをメンヘラって思ってるだろう

弟のお嫁さんが言った

「ただの世間話だから」

という

弟の話の内容は

 

わたしが弟に送ったメールのこと

 

往診の先生が

まだここでコロナが深刻化する前であったのに

在宅介護を続けられるように

往診も訪問看護も入れるように

 

死亡後往診に入り死亡診断書が書けるように

必死に考えてくださったであろう

弟とママとの面会方法のことだった…

 

宿泊場所は自宅とは別にし

開放してマスクをし

会話は無しで一日一回15分の面会

 

東京の今の状況を考えて

安全を確保するには

そうするしかない

 

面会はどうするか?

この先ママの点滴や処置はどうするか?

必ず姉弟で話し合って決めてください

そうでないと後悔します

 

話し合いも…

 

連絡も取れなかった

 

ママが退院の日に急変して

亡骸で

お家に帰って

 

 

わたしは

弟が葬儀社の担当者に話していた

わたしのメールの内容を聞いていて

 

「いまさらもうやめて!

 胸が苦しくなるから!」

 

と叫んだ

弟のお嫁さんは

「ただの世間話だから!」

とわたしに言った

 

 

ママのお葬式に出られるような状態では

なくなった

 

はりつめていたものが

あふれた

 

 

 

本当に

後悔した

先生の言ったとおり

 

後悔している

一生の

後悔…

 

でも

 

自分を信じきれなかった

わたしが悪いのだ

 

終わってしまった

ママは死んでしまったのだ

病院で

 

わたしを待って

 

死にたくなった…

 

認知症の親を介護する多くの人が

同じように

自分自身も認知症かのように

不安になり

 

同じように

死にたくなるような

自分も死に近づいてゆくような

そんな絶望を

多かれ少なかれ

感じるようだと

いろんな書物から知った

 

 

介護をして

在宅で看取るということを

大変だと思ったことはない

 

楽しかったのだ

ママとの生活は

本当に楽しかった

 

笑っていた

わたしは

こころから笑っていた

 

 

そういうなか

以前読者さんになってくれた人が

自分のブログを非公開にして

新しく始めたブログで

死にたい

と言っていて

 

わたしはその人のブログを読んで

生きる力と生きたいという希望を感じていたから

とても驚いて

 

人生初の

コメントなるものをした

 

自殺

という

穏やかならぬ言葉が

わたしの記事のentryの欄に連なった

 

 

死にたい

という声を上げることができる場所は

一体

どこなのだろう

と考えた

 

ALSの患者さんが

狂った思想の医師らに

殺された事件

 

命の電話はつながらず

内容的にも十分ではないという

 

 

生きることは

死を思わずに成立しないだろう

 

死にたい人を助けることなんか

わたしには不可能なことだけど

 

あなたのブログを読んでいます

気にしています

心配しています

伝えることくらいは

できるのかな

って思った

 

 

「いつもわたし浣腸にあたるなー!」

訪問看護の看護師さんの言葉

アハハ!本当だ

笑っていたけど

 

これが

患者さん本人への言葉だとしたら…

 

生きる希望は

消えて

絶望するかもしれない

死にたくなるかもしれない

 

わたしも

それから浣腸の処置は全部

自分でやった

 

もっと体力や気力が落ちたら

助けてもらおう

心に決めて

 

 

いまこの国は

コロナ禍にあって

人々は

殺伐としているように思われる

 

とにかく

生きてゆくことが

生きていることが

いちばんの

希望となるのだ

と信じる

 

 

死にたい

という人の声を聞いたら

 

おせっかいなわたしは

 

聞いた

聞いてる…って

 

泣きたい気持ちになった

 

 

そして

わたしは

 

ママを失い

また

簡単に

絶望した…

 

弱いのだ

 

でも

 

今朝はひさびさの

階段の昇り降りもして

 

スーパーまで走り

 

いつものキムチ風漬物

今日のは薄く切った大根でカクテギ風で

たくさん仕込んで

 

孤独だけれど

それが普通のわたしの日常に

またもどってゆこうと

 

勇気をふりしぼる

 

 

希望は

 

絶望からも

生まれてくる

 

願わくば

 

絶望にある人の声を

受けとめてくれる窓口が

いつもあればよいなあ

 

そして

 

誰もが

お家で亡くなれるような

介護や看護のシステムが

標準になればよいなあ

考えているところです

 

これから

わたしにできること

しっかり

考えて

 

ママが天国で

悲しい思いをしないように

心配しないように

 

生きてゆく

 

今日も

 

生きてた

シーちゃんと

 

 

ママの

初七日の夜…

 

 

ありがとう

 

寒いので

くれぐれも体調に気をつけて

 

また

明日

 

おやすみなさい