シーちゃんと

時々はシーちゃんとこっそり泣こう

ひとり

偶然なんてない

という

 

すべては

 

この世に

 

人生に

起きるすべての物事は

必然で

起こるべくして

起こることであるという

 

運命を信じるほど

ロマンチストじゃない

かといって

 

夢見ずには

生きてこられなかった

 

あれは

 

お寺さんで

弟の言葉に混乱し

苦しくなって

 

涙が止まらなくなって

 

お葬式に出ず

 

歩いて帰って来たのは

果たして

衝動か

 

必然か

 

 

部外者

と感じた

わたしだけ

 

未消化の胃の内容物が

生き物みたいに

暴れた

 

 

わたしの苦しみは

わたしだけの苦しみ

それは

 

誰もがそうだろうけれど

 

過ぎてしまって

もういまさら言ったところで

何の意味もないどころか

 

言うべきでもないことなのだが

 

あの場に

弟夫婦がいなかったなら

わたしはわたしの責任を

ひとり

果たして

 

淡々と

お葬式と納骨を済ませた筈だ

つまりは

 

やる気でやったこと

 

最も

罪が深い

 

罰当たりだ

 

ごめん

 

ごめんね…

ママ

 

 

「そんなことしたら

 この先のあなたの人生が

 大変なことになるよ」

 

歩いている途中

姉上様が

姉上様なりの答えを出した

電話で

 

 

いいえ

 

弟で

事足りる

 

その答えは

もう

わたしの人生は

大変なことになっている

ということなんでしょう?

 

 

 

今日は

本当にかなしい

 

さみしい

 

片付けもお洗濯もそこそこに

 

急に

読みたくなった本

ママの体位変換までの2時間

起きれるかと

眠るのが怖くて

 

起きていて

読んでいた本

『もしも一年後、この世にいないとしたら。』

           清水研著

もう一度

読み始めた

 

 

よく人に

あまり深く知ってもいない人に

あなたは何の苦労もないでしょう?

と言われる

 

見たままの

わたしが

わたしであり

 

わたしという人間は

正直に生きていて

裏も表もなく

 

時には

泣いたり

 

感情を

さらけ出したり

苦労なく

いつも笑って

 

そのまんまに

生きている

と思われる

 

それはあながち

外れていない

きっと

苦労をしていない

 

自分に起きたことは

苦労とは思わない

 

 

人間は

他の人たちは

もっともっと頑張って

 

苦労を努力で乗りこえて

必死に

生きているのだ

 

姉上様も弟も

 

わたしは

頑張れない人間なんだろうな

 

いつの頃からか

この孤独と

生きてきた

 

共感してくれる人間は

どこにもいなかった

 

すぐに

答えを見つけてくれて

 

少し

いつもより

へこたれていると

 

メンタルクリニックへゆけ

という

 

眠れなければ

眠剤を飲め

 

 

わたしが正常という

保証もない代わり

 

治療が必要ではない

という確信はある

 

弱く駄目な自分と

常に向き合って

何に逃げることもなく

 

そこから

何とかして生きてゆこう

と思う

 

それが甘い

甘えだと

弟が言う

 

 

そうだろう

きっとね

正しいね

 

じゃあ

頑張れなかったら

 

生きてちゃいけないかな?

 

駄目な人間だけど

自分を正して

節制して

 

何とか生きよう

生きてゆこう

あがいて生きては

いけないかな

 

人と 

違っていたら

いけないかな?

 

答えは

すぐに見つけなくちゃいけないのかな

 

 

迷惑をかけて

生きるということ

 

わかってないと

腹立たしいのだろうけれど

 

わかっている

わかっていて

 

それでも

 

とにかく

死なないで

生きる

 

それしか

 

もう

親孝行のすべがない

 

これ以上

迷惑かけないためにも

生きる

 

 

この間

残された人間が困る

遺影の写真のことで

二人が言った

 

わたしが死んだら

共同墓地におさめてと言っているのに…

わたしが

次に

死ぬだろうから…

 

長くは生きれないだろう

体も

こころも

弱い

 

 

生きることは

誰かに

迷惑をかけ

生き延びてゆくこと

 

それでも

生きなくちゃいけない

 

命とは

自分の意思で

どうにかするものじゃないから

 

とにかく

生きるんだ

わたしで

 

 

ひとりぽっちで

たったひとりで

 

ここで

ママを看取ってあげてたら…

 

こんな

絶望はしなかったのかなあ

 

 

ひとりには

耐える

 

わかり合えないこと

わかってもらえないこと

つらいね

シーちゃん

 

 

誰にも会いたくない

誰とも話したくない

ひとり

 

ひとりでいい

 

 

また

読み始めた本

初版が

昨年の10月16日だった…

 

 

今日が

最後の日になるなら

 

せめて

 

あなたの

健康と

 

平和を

祈りたいです

 

 

ママが

もう苦しくなくて

天国で

安らかなことを

信じます

 

ありがとう

 

また

明日