二年前の
昨日のこと
一晩中ママと
病院のERで過ごした
あれから…
亡くなるその日まで
今日が
その時か
と
一日一日生きてきた
枕元には
ママの書類を入れたファイル置いてる
退院して在宅介護に向かうための
カンファレンスの説明・同意書が
いちばん上
本物は
姉上さまが持って行ったので
わたしは病棟の看護師さんに頼んで
コピーをもらった
その文章を読んで
自分をふるいたたせ
一日ごと
過ごしてきた
いちばん頑張ったのは
ママだ
二年前の昨日か
あるいは
今日か
命日になっていても
不思議ではない
むしろ
その後の
一日一日は
毎日が
ママからの
わたしたち三人への贈り物だった
わたし
脳味噌が幼稚すぎて…😣
小学生?
いや
小学生に申し訳ないな…
どうしようもない幼稚な部分があって
ここにもどって来てからは
厳密には
それ以前からだけど…
姉上さまにお世話になり
面倒かけているので
極力自分のためにはお金を使わない
最低限無駄をせず食べる以外
を
守っている
自分で決めて
自分で守る…
ブログのこと
誰にも教えてないんだけど…
姉上さまのタブレットお借りしていて
姉上さまはわたしをいつも気にして暮らしてて
いつのまにか
ブログ始めてたの見つけて
読んで
生存確認していた…😿
メールできる
たったひとりの姉上さまに
メールするのが
怖くなってた
真夜中に返信もらった…
怖くて
お昼過ぎまで
読めなくて
わたしの
このような精神状態に
なんとなく近くおもえるのは…
神経衰弱
いにしえの言葉だけどね
多くの文豪たちが
陥ったといわれる状態
でも
誰でもなる状態
きっと
それで
根底には
強烈な
生きたい
というおもいが
隠されていて…
若きママ
後妻のおばあちゃんにいじめられ
必死に逃げた病院で
もらった病名だ
症状の総称だけれど…
逃げる場所
なかったんだろうなあ
田舎のおじいちゃんは厳格な教師で
突き放したのだ…
わたしはひとり
たくさん夢を追って
ひとり破れて
ママに
姉上さまに
手をさしのべてもらい
ここに生きていて
このお家の
後始末だけでも
しっかりやらなくちゃ
今日が
その時
は
自分のことになった
でも
生きたいんだ
わたしは
きっと…
シーちゃん
メールで
お部屋の片付けありがとうとあった
姉上さま自分の大切な着物が
気がかりだったみたいで
着物はネズミの被害にあってないよ
大丈夫だから安心して
と伝えた
それから
わたしのその時には
やっぱり
葬儀もいらないし
ここのお家のお墓には
入れないでほしい
と
あらためて
お願いした
この感染爆発のいま
もうすぐ一周忌法要をする
命懸けだ…
一族で
いちばん若い
たったひとりの甥っ子クンに
お墓なんて
残したらかわいそうだよ…
のんびりしてるけど
素直で純粋な
とてもよい子なのだ
わたしはのんびりすぎて
駄目なおばちゃんだけど
わたしと違って
目標が見つかれば
のんびりだけど
こつこつ集中してできる子
そんな甥っ子クンの未来に
重たいお墓なんて
背負わせたらいけない
わたしが入らなかったら
パパママの
法要をできるだけしたら
やがて
墓じまいができるから…
そう伝えよう
と決めたら
花火🎆!☺️
二度目の花火だ…
昨年も
今日がママの
その時かもしれない…
と
見上げてた
姉上さまに
決意
伝えられました
明日からは
ふりきって!!
自分のものを捨ててゆこう…
っておもった
いま
姉上さま頼みの生活
昭和の?生活だけど
みんな壊れてしまったら…
明治の生活?☺️
でもかまわないなあ…
って…
迷惑かけるよりよいのだ🙆
書けるうち
ブログ書きます
書けなくなっても…
決して
自ら死んだりはしない
自己診断は
神経衰弱だからね…
ちょっぴり
疲れたのだ
二度目の花火🎆
ありがとう…
姉上さまも…
ありがとう
一度きり
真実に生きると祈れば
天にとどろく
二度目の花火
今日の短歌です…ありがとう☺️
長生きよりも
おもいをつなげて
抱いて
生きられるだけ
一生懸命に生きようと
その時
その日まで
いまできることしよう
と
おもった
かるくなって
ふりきって!
捨てよう…
ありがとう
今夜無事に
ゆっくり休めていますように
一日
一日
平和に向かってゆけますように
ありがとう
また
明日
おやすみなさい