シーちゃんと

時々はシーちゃんとこっそり泣こう

生きる

曹洞宗

ひたすら

座禅する

 

薄暗い窓のない板の間の

一段高いところで

壁に向かって

座禅をする

 

 

菩提寺曹洞宗

お経とお祈りは

それらに沿っている

 

 

『夜と霧』読み終わった

 

鼻水や背中の痛みに

かこつけて…

読書

 

 

子どもじみているわたしの

妄想みたいな祈りや

 

ほんの微かな

幸運を

 

泣けるほどに

ありがたくおもう

へんてこな癖や

 

幽体離脱

してるような

 

自分を見てる自分と生きてる??

日常の不可思議が

 

なんとか

苦しみや

苛立ちや悲しみが

多過ぎることなく

通り過ぎてくれて

 

通り越しては

また

笑って

生きてゆけるように

 

かなしみのなか

身についてきた

生きるための術であったんだなあ…

って

読んでいった

 

さらに

子どもじみた考えを言うと…

 

この世の

神仏という

世界のこの国の

あまたある存在は

 

ひとつ…

 

というおもいがあって

 

そのおもいと

祈ってもいるのだけれど…

 

 

 

強制収容所の生死の混在した

地獄の現実と

 

ただ弱いというだけの

わたしの現実とは

 

比較するのがどうなのだ?

という

 

人間世界でのこと

という一致

しか

見出だせないけれど…

 

 

人間のしたこと

人間のすること

 

有機体の中で

ただ人間だけが

未来への希望を抱きながら

今日を

いまを生きる

 

 

あらゆるものを奪われ

命の危険と恐怖にさらされ

 

微塵の余裕も

希望の欠片もなくしても

 

これでよかった

この状況にあったからこそ

よく生きられた

 

祈り

死んでゆく人がいること

 

自分も足りないはずの

隠し置いたパンの

小さい一片を

 

さらに弱った人に

微笑みと

よい言葉で

差し出す人…

 

 

監督する立場の人間にも

囚人を吟味せず

分け隔てせず

 

水のような薄いスープを

そのわずかの豆や野菜を

均等に

皆に分配する者

 

自分の金を払って

薬を町から買い集め

収容所の囚人に与える医者

 

 

どこにあっても

どんな人間も

その人の

その人なりの人間性があらわれた

という

 

一律に

すべての人間が

悪と恐怖に飲み込まれたのではないこと

 

そこから

どんな絶望にも

どんな死にも生にも

意味があるのだ

フランクルは言い

 

自己放棄をしてしまわないのであれば

最後まで

希望があることの事実を重ね

 

おそれるものは

神のほかにはない

 

精神は

どこまでも自由であることを

 

あらゆる方向から観察し

あらゆる地獄の体験を切り抜け

あらゆる死を

残虐をも

祈って

越えて

 

生き延びて

つなげた言葉

 

 

同じく生き延びた人たちが

やがて

時間の経過と

自らの力とで

再び

 

自分を生きる様を

精神科医として見守り

追いかけて

代弁し

 

 

「かくも悩んだ後には、

この世界の何ものも……

神以外には……

恐れる必要はない」

という

貴重な感慨に仕上げられる

 

 

という言葉で

『夜と霧』を

結んでいる

 

 

疲れた…

 

でも

生きるんだ…

って

 

また

祈った

 

 

人間ならば

こころをよせて

 

言葉をもって

会話をして

お互いを

わかること

 

かならず

できるはずだけれど…

 

人間って

 

たった一種類の

ヒト

という種

なのになあ

 

むつかしい

シーちゃん😿

 

自分を

放棄…

 

ずきずき

どきどきするしなあ

 

 

人間だから

 

まずは

自分

守れるように…

しっかりだよ

わたしよ…

 

ありがとう

フランクル先生☺️

 

 

すこしだけ

あたたかいようなのに

雨なのに…

 

寒い…

 

 

戦争

しちゃいけない

 

 

話し合おう

って

 

ひとりぽっちだけどね☺️

 

天国の人と

話してます

 

ありがとう

 

 

首や手首

足首

あったかくして…

 

どうか

今夜も無事に終わり

 

ゆっくり

眠れますように☺️

 

ありがとう

 

 

また

明日

 

おやすみなさい