シーちゃんと

時々はシーちゃんとこっそり泣こう

忘れない

捨てるのに

とても苦労した

ママの

お洋服

 

入院して

施設より

その引き取りを

急き立てられた

 

姉上さまは立腹した

けれど

 

何故か?

軽トラ!を借りて

さも

大変に

重々しく取りにゆかねば

気がすまないのだという…

 

 

ママのことは

わたしが取り次いでいて

 

苦悩…

 

姉上さまのお許しを得て

ひとり

ワゴン?のタクシーで!

荷物の引き取りに行った

 

これまでの

感謝を伝え

皆さんに

ご挨拶して

 

けど…

 

お洋服で

まだきれいなものは

入居者さんたちの

困難にある人に

使ってもらえば…

 

それが

一番よい始末の仕方だった

 

そうおもえた

そのおもいが

もの始末を

余計に

つらくさせた

 

アルチュハイマー

などと揶揄されて…

 

施設の介護職員の

若い女性のお下がり

うれしそうに着てた

おばあちゃんのお顔…

 

笑って

声かけてくれた

しわがれ声

 

忘れられない…😿

 

 

何やら

終末の

看取りへの

道のりには

 

大仰な

身構えた

 

気負いと

混乱が

うずまいていた

 

 

そこから…

 

 

わたしは

ちょっとだけ

というか

 

大いに…

 

消極的な

内にこもる自分を

ふりはらっては

 

いつも

いつも

自分を励ましていた

 

風船ならば

もう

破れてしまう

その寸前で…

 

そうやって

生きてたみたい

 

 

ママは天国

 

ありがとうのきもち

それだけ…☺️

 

最後の

最後まで

ママでいてくれて

 

待っててくれて

ありがとう

 

 

コロナが蔓延し

世界が

変わったこと

 

そこに

つけいる

悪も

のさばること

 

 

進めなくて

ごみのようなものを

ひとつ

ひとつ

選別して

 

手入れしたり

再生したり…

 

 

大切なものは

崩壊していた

って

 

わかってしまったり…

 

 

25歳で

不可思議な死を遂げた同級生

 

彼の

命日を

覚えていたくなかった

 

覚えなかった

 

 

死ぬべきではない

という

怒りと

 

無念しかなかった

 

同級生で

一番最後に会ってたのは

わたしだったから

 

おかしな後悔を

焼きつけて

 

死んだ人を

忘れることはできないのに

 

命日を

覚えなかった

 

 

生きるって

つらいね

シーちゃん

 

 

彼は彼の

苦しみに

困難にあったろうに

わたしには

 

ただの

一言も

現実のつらい局面を

言ってはくれないで

 

さっさと

 

お星さまになった…

 

 

 

  またあした

  間違う君に見送られ

  永遠に無い

  明日を生きゆく

 

 

今日の短歌です…☺️

 

ありがとう

 

きな臭く

陰惨な

現実と

 

こもって

小さくて

動けない

わたしと…

 

 

それでも

今日は生きている

 

ありがとう

 

 

今夜がおだやかな夜になるように

ゆっくり

眠れていますように

 

今日の無事を

祈ります

 

かならず

無事にいてください…☺️

 

 

ありがとう

 

 

また

明日

 

おやすみなさい