シーちゃんと

時々はシーちゃんとこっそり泣こう

だいすき

ママは自ら

施設へゆく

姉上さまに伝えていた

 

脊椎に菌が入って

その感染の高熱で入院して

そこからは

次第に認知機能が衰えて

やがて脳出血も起こして

 

ママ語は独特の言い回しと変化しつつ

 

どんどん

どんどん消えてって

 

どんどん変わってって

 

おんなじことのくりかえしも

だんだん

できなくなってって…

 

言葉は

むしろ

とぎすまされてゆくようだった…

 

どきん!❣️

とくる

そんな言葉を

いっぱいいっぱい!

いっぱい

もらって

 

泣けたっけなあ…😭

 

ママはなにをおもっているのかなあ?

ママはなにをみているのかなあ?☺️っていう

そういう時間が

だいすき!!

だった

 

 

もっともするどい言葉

うおっ…😶

っときた言葉は…

 

 いっぱい!だいすきでねばまいねよ!!

 

訳すと…

 

 とっても大好きじゃなくちゃだめだよ!

 

おおぉぉっ…っと

 

そっか…

そうなのか…とどきどき😵💓

 

でもね…

 

いっぱいだいすきが

わかってはいるのだけれどね

 

遠いのだ

 

この手は

とどかないのだ…

 

でも

だいすき!と

いつでもおもえるんだから

 

わかっただけでも

しあわせ…😌

 

ママには

いっぱいだいすき!!

って

うまく

伝えられたのかなあ…😿っていまもおもう

 

変わってくママ

でも

根っこは

ずうっと

おんなじ!

ママだった

 

どこもかもみんな

なんだかとてもきれいなママなのだった

 

ありがとう…😭

 

 

いつしか

姉上さまとわたしと

ふたりは

ママにとって

一対となってしまった

 

ふたりでひとつ

みたいになっていた…☺️☺️

 

姉上さまがいっしょじゃなくても

いつもいつもいっしょ

みたいな空気があって

安心してた

 

ひとりで

6㎞ちょっとを

とことこ歩いて

たどり着くママのところは

 

施設なんだけれど

あちこちかわいい💠を

そこかしこにちりばめて

ママはいつも

姉上さまとわたしを

ママのなかではひとつの

一対の!

わたしたちを

毎日

 

毎日

ママのところに

 

帰ってくるのを!😃

 

待っているかのようだった…

 

わたしがいたら

姉上さまもいる

みたいな…

 

だから

お家にもどしてあげたかったのだった

そしたら

また一対のわたしたちを

いっぱいみられる

いつでもみられる…と

なのに

 

お家に帰る

同時に

 

コロナは

やってきたのだった…😒

 

でも

待ってたなあ

毎日

毎日

ママとわたしと

 

今度は

ママとわたしと

ふたりがいっしょになったように

ふたりぽっちで

毎日

毎日

みんなの話して

 

姉上さまが

帰るのを

 

笑顔を

 

待っていたのだった…😑😑

 

 

わたしご飯は

ママの大量ご飯が基本で

お肉を好まないこともあり

お野菜の副食が

とにかく多い?😿

らしかった…

 

姉上さまが

 

 多すぎる!!😾

悲鳴あげるまでわかんなくて…

そこまで

きっとものすごくがんばって食べてくれてた!😣

わかって

 

えらいなあ…😑姉上さまは

とおもった…

 

ママとよく似ているのだ

 

わたしのすること

ママのつぎにほめてくれるのは

姉上さま

けれども愚かなわたしは

ほめられることには

あんまり頓着なくて…

 

えっっ!!😞💦

って焦る

ほめられると焦る…😣

 

小さい頃は

年がちがうし

好き!もちがうから

あんまり

というかほとんど

いっしょに遊んだ記憶はないのだけれど

 

いつでも面倒みて気配りして

 

安心してられなかっただろう

とおもう…

写真みるたんび

ありがとうって言ってる

 

ありがとう

 

 

写真のわたしたちは

いつも

ぴったり

隣に座っている

時々

わたしの肩に手を置いて

 

ひょろり大きい姉上さまが

わたしの頭の上で笑っている…☺️

 

ちょろまつ?やけに落ちつきない弟を

見張って捕まえて制止するので

ママはいつも手一杯!!😞💦

で…

 

わたし

二十歳まで

ママと手もつないだことなくて…

 

ずっと

ずっと

おかしな遠慮していたのだった…

 

へんな子どもだ

我ながら

ねえ

シーちゃん

 

 

そんなへんな子をママ代わりになって

面倒みて心配して…

 

いまだに

支えられて生きてる…

情けないわたしだよ

 

ありがとう…😿

 

子どもの自分が

いつまでも

居座る

へんてこなわたし

 

仕方ないので

できること

がんばる

で…

 

片付けは始まったのだった

 

片付けって

泣けるんだよ

 

どうして?っておもったら

ストップ

してしまうんだよ

 

混乱と混沌と

夢と逃避と現実と

アレルゲンと危険と

ごちゃ混ぜの

しっちゃかめっちゃかの!

 

時の屍のようなものたち

 

まだまだあるのだ…

その浸水した最後の魔窟から

たったひとつ

一輪挿し?

とっくり??

わかんないけど持ってきて洗っておいた

 

大正レトロ

古道具屋さん

できそう…😒

 

 

眼を再度

再再度??

傷めて

 

頓挫しているパパの部屋

すっかり物置部屋なのだけれど

 

謎の水が染み出した木部の原因

おおもとの浸水を

確認するために起こした二畳の畳は

そのまま立て掛けてあって大変危険

 

80%アルコールでカビ取りした荒床は

まだ

剥き出しのままだ…😣

 

こんな眼でつづきしたら眼が危険…

いくらバカでもそんくらいはわかるのだった

 

雨がうらめしいけれど…

 

土嚢!!

そっか…

 

いいだけ降ってるさなかに

おもいつく

愚か者…

でも

 

いま自力でできそうもない

ということは

できないということ

仕方ない…😌

 

パパがアドバイス??

降ってきた???

でもね

こんなんにしてしまった人は

パパなんだからねえ…😑

 

お祈りしたのだった

ごめん

 

わたしは小さい

わたしの手は

ちからは…小さいなあ

ごめんよ

って

 

でも

だいすき!!を知ってる

知ることできた

それでよいでしょ?ママ☺️

って…

 

 

苦難の時代

みんなそれぞれに苦しい

みんながんばって生きてる

 

新しい世界に向かっている…

もうすぐ

 

もうすぐ

って…😶

 

傷つきのあとには

かならず

成長があることも

知ってる…

 

そのおかげで生きてこられた

そのおかげで

わたしはわたしになった

 

支えてくれて

ありがとう…

 

 

81歳のヴィヴィアン・ウエストウッド

目をうるませて言ってた

だいすき!な女性だ

 

 いのちをかけて世界を変えようと努力してきたのに

 世界はちっとも変わってはくれないのよ…

 

って…

 

いつか姉上さまに

 あなたはいつのまにか普通になってたね!😸

とほめられたっけ

 

お洋服の始末していて

決心した

封印しようとしてた自分でつくった服

これから

また復活させて

 

わたしはわたしのだいすき!!

生きてゆくんだ…😶と

 

これからは

ママの古着物をほどいて

わたしのだいすき!!をつくろう

 

消耗衣料以外は補わずに

これからずうっと

いっしょに生きられる

わたしのだいすき!!をつくろう

って

 

それが

我で

欲…

 

眼が治ってくれたらね…

 

 

お花を買いに歩いた

雨のなか!

好きなのだった…

 

わるさ

しないでおくれね…

 

 

今日は?

どうでしたか…😶

 

無事に

無事に終わってくれてること

祈ります

 

倒れないでね…☺️

 

雨も台風も過ぎますように

 

 

世界が

平和になりますように…

 

 

ありがとう

 

また

明日

 

おやすみなさい