シーちゃんと

時々はシーちゃんとこっそり泣こう

手放せば

生きていて

よいのかなあ

などと

おもうときは

 

愛が

迷子になってる

 

ずっと

くりかえしてる

そんなおもいは

おそらく

 

生命への

冒涜だ…

知っている

 

知っていても

よぎる

 

生きててよいのか?

 

死にたい

ではなくて

 

生きたい

というおもいなんだろう

よく

わからないけれど

 

ひりつくような

身のおきどころ

ないような…

 

まずは

自分だ…

今朝の雪片付けも

自分の家のところだけをした

 

自灯明

ここを

自分を

照らす…

 

パパが

末期がんの果てに見せた

あかるさ

すがすがしさ…

 

 

あれこそが

自灯明

おもえた夕

 

雪が降って

かなしいなんて…

つらいなんて…

なんだろ

シーちゃん

 

 

生命として

人間を考えたら

二十年もの長い年月をかけて

ようやく成熟して

完成され

 

そこから

あとは

すでに

老いが

始まってゆく

 

成熟までの時間が長いから

老いてゆく時間も

さらに長い人間

老いと

生きる人間

 

老いと

パパママの死から

いのちの道のりの

おしまいを

 

終わりを

ずっと

考えてる

 

死のお片付けと

今日のような

迷いのなかで…

 

この冬

やめてしまった

真夜中の

夜明けまえの

ご近所のための雪片付けは

数年

ずっとつづけてきた

 

何かに

追い立てられるみたいな自分を

まるで

荒行や

雲水のする行のなかに

投げ入れようとしてたかのようだった

 

そのうち

いつのまにか

お経をそらんじていた

 

それには

こころが

救われたけれど…

 

雪片付けは

心身に無理をかけて

行さながらに重ねた年月が

わたしの印象を

 

わたしの現実とは

かけ離れたものにしてしまっていたと

 

やめたことで

知らされたのだった

 

自分は

僧でも男性でも

強靭でもなくて

 

ただの

弱者

よわい人

という実像を

 

誰かは

うけいれてくれないとしても

それで

また

いやな

こわいおもい

するのかもしれなくても

 

わたしは

もう

馬鹿げた

虚像を

手放そうと決めた

 

ぶつけられた

おそろしい激しい言葉や

定番のストーリーとなった誰かの悪口

隠して捨てられるごみ…

あれらが

 

強靭なわたしという虚像への

そねみや苛立ちでもあったとしたら?

 

まったくの

本末転倒で

誰も

救われないなあ

おもった

 

徒労…

 

愚か

 

こころも

くるしくて

ずっと

ずっと

くるしくて

 

自分を愛するという

どのような自分をも

うけいれるという

寛容を失っていた

 

 

親がないという年かさの女性が

親のようには年のちがわないパパママを

やさしくしてもらって

親のようにおもった

ありがたくて涙がでる

語ってくれたのは

 

真夜中みたいな早朝の

雪片付けのときだったのだけれど

 

早朝雪片付けをやめて

今年は

まだ

会えていなかった

 

今日

わたしを見つけて

声をかけてくれた

 

この女性はわたしを

姉上さまとおもっているらしいのだ

ここは

姉上さまのお家だから…

 

わたしのこと

まるで

ママのように呼んで

ちょっとびっくりした

 

 転んだ!

 

と言う

見ると

大きな青いあざのある顔していて

とっさに

頭に異常なかったか訊いた

おばあちゃん

と言いたいような見た目だけど

 

こころは

ほんの小さな子どもみたいで…

 

 気をつけて歩こうねえ

 頭なんともなくてよかったねえ…

 いってらっしゃい!

 気をつけて!!

 転ばないで…

 

見送った

 

この一年で

老いていたのだ

まさしくの

よちよち歩きで

 

母を

もとめる赤ちゃんみたいにして…

よたよた歩いてゆく女性の背中

見えなくなるまで

見送った

 

コロナのワクチン打ちにゆく

って…

なのに

転倒の打撲は

病院には行かなかったって…

 

お酒のむ人だから…

 

酔っぱらって倒れないでね

そのまま

眠ってしまわないでね…

祈った

 

 

自分を

うけいれること

 

照らすこと

 

人を

愛すること

 

おもうこと

 

慕うこと…

 

わたしは

愛を

知っているじゃないか…

 

こころに

あたためて

生きているじゃないか…

 

僧でもなく

強靭でないわたしでも

生きていたら

いいんだよ…

自分に言った

 

 

あの

よちよち歩きの

年かさの女性には

わたしは何一つも

してあげられていなかったのだ

 

ただ

真夜中みたいな早朝

雪片付けしていて

挨拶をして

 

 転ばないで!

 ゆっくり

 のっしのっし歩こうねえ!!

見送ってただけ…

 

彼女は

よく

パパママを語ってくれた

やさしい人たちと言ってくれた

わたしを姉上さまとおもいながら

パパママと

おんなじようにおもっていてくれた

 

このところの

雪が片付けられていない道を歩いていて

きっと

気にかけてくれていたんだろう

 

 

祈りとは

 

こういうことか…

 

パパママの

祈りが

憐れみが

彼女のこころに

伝わっていた

 

ありがとう

 

祈ろう…

今日も

 

 

戦争が終わりますように

 

世界が平和になりますように

 

 

ちっとも成長してくれない

自分の

童心を

恥じても仕方ないなあ

とおもった

 

うまく

生きられなくても…

 

誰の

何の役に立たなくても

 

生きている今日は

なんてしあわせ

 

あの女性同様に

弱者として世間に

蔑まれていようと

自分を生きて

 

自分を

照らせるように…

 

みんな

弱い

おんなじ

人間…

 

いのちは

人生は

なるようにしか

ならないじゃないか…

 

 

平和は

愛は

かなわなくて

 

果てしなくおもわれるけれど

 

そこかしこに

ちいさく

はかなく

 

どこにだって

いっぱいに

あふれているんだ

 

 

わたしは

ちゃんと

わたしを

愛すること

できるように

 

 

雪が降る

また

救急車がゆく…

 

 

今日も

無事に終わっていること

祈ります

 

一日

一日

平和に

おだやかに

過ぎてくれるように…

 

かならず

かならず

無事にいて…

 

 

手放せば

きっと

新しい風が

吹いてくれること

信じて

 

眠ろう…

 

 

ありがとう

 

また

明日

 

おやすみなさい