かなしみが
あまりに
過ぎて…
こうして
日に日に
自分
追い込んで
追いつめられて…
ただ
生きる
生きてる
いま
のみを
刹那を
ひたすら
手がかりに
幸福として
ただ
いまを
不安と
はらはら
おろおろ
生きていて
眠れていない脳みそは
もう
崩壊してるかもしれないし
遺伝子は
撹乱されて
悪性の塊
ひそかに
つくってるのかもしれないな…
とにかく
ふらふらでも
へとへとでも
なんでもよいから
つくって
食べて
脳みそ
細胞
栄養しよう…
と
食べた
食べられる
しあわせ…
頭
もやもやだ
シーちゃん
いつも読ませていただいているブログ
尼僧寺の
お坊様のブログ
今日は
お釈迦さまが入滅した日
涅槃に入られた日
と
涅槃会のお知らせがあった
もしも
近くに
このような
ひらかれたお寺
あったなら…
と
いつも
おもう
ブログに
たくさんの教えと
救いを
いただいている…
朝から
お釈迦さまの
おもい
聴くように
こころに
このところの
暗い
重たい
悲惨な
こころに
灯り
ともすように
仏間で
お祈りのあと
ほんのすこしも…
と
本
仏教の本
すこし読んでた
先日は
その尼僧寺の
お坊様が
中道について教えてくださっていて…
それを読んで
自らの
過ぎた
かなしみ…
絶望
恥じたのだった
胸に
ひびいた…
極端に陥ることなく
調和のとれた努力を続けていけば
涅槃に
達することができる
という教え
中道…
もとめて
律して
そう
生きよう
と
念じて
生きていたはずではなかったか
極端
という
悪に
自分から
おちていた…
悪だ
わたしが
悪
と
お祈りした…
今日
調和
とは
どんなにか
大切で
どんなにか
うつくしく
おおらかなものだろう…
いつか
ブログに
公開されていた
その尼僧寺の
お坊様の
笑顔を
おもった
おおらかな
満面の笑みだ…
やさしい笑顔
けれども
あやまちには
きっと
厳しく
諭してくださりそうな…
ご立派な
おもっていたとおりの
お顔だった
わたしに
調和は
うしなわれ
急いて
性急に
かなしみだけを
増幅させながらも
その
かなしみ
あたかも
無いことのようにして
極端へと
逃げた…
何も
伝えられなかった
こころの
ほんとうのところ…
姉上さまに
しっかりと
伝えるべきだったのに
どのような愚かな
おもいでも
こころの
素直なところ…
ねじ曲げないで
まっすぐに…
あれから
壊れて…
病んで…
なんて
なんて
卑しく
愚かなんだろう
お釈迦さまが
涅槃に入られた
今日
せめて
せめて
ふたたび
中道に
その八正道へと
おもいをいたし
こころから
お祈りできた…
ありがたい
ありがたい
めぐりあわせを
幸福と
幸運と
忘れることなく…
と
今日の
生きてある
いまの
しあわせを
祈ろう…
ちっぽけな
届かぬ
足らない祈りだけれど
ここから
こころから
また
つなげてゆこう…
夕刻
うつくしい
うつくしい
夕焼け
お釈迦さまが
横たわっているようだった…
戦争が終わりますように
世界が平和になりますように
今日が
いまが
しあわせ…
今日かぎり
いまかぎりの
しあわせ
ありがとう…
今夜
無事に
おだやかに終わってくれるよう
明日
かならず
目覚められて
かならず
かならず
無事にいてくれますように
祈っています…
ありがとう
また
明日
おやすみなさい