徒
とは
ひとたち
という
ひとりぽっち
孤絶の世界で
ひとり籠山行さながら
こもって
無言で
ただ
祈り
懺悔して
ただ
いま
だけのいま
そういう生を
ただいちにち
いちにち
と
あたえられたならば
ただ
ありがとう
ごめんなさい
と
お祈りする
なんにも
できない
どこにも
ゆけない
闇の
こころ
しずめて
あるいは
闇の波に
のまれたり
ただ止むを
待っていたり
そう
ならざるをえない悪
悪
は
ひとり悪
このようなわたしを
自分で自分を
とは
とても
呼べないんだけれど
お釈迦さま
おもう
こころ
せめて
あたえられた
いまを
お釈迦さまに
ならって
そうて
と
ただ
おもえば
お掃除
そして
死のお片付け
となっている
もの
まったく無いところ
ではなくて
もの
生きていて
つかわれて
循環しているところ
やがては
ふるびて
つかい切ってゆける
そういうものたちが
お掃除された場所に
整頓されていたら…
それはそれでも
死のお片付け
と
おもう
なのに
体力も
精神も
よわってしまってる
こんなに
よわかった?わたし
シーちゃん
って
パパ
ママ
もう
生きてはいない
生きてはいないひとたち
をも
かなしませてしまう
かなしませつづけている
わたしだ…
ごめんなさい…
どんなに
ごめんなさいと
さんげ
つなげていても
ゆるされる自分でないなあ
ただ
お仏壇のまえに
すわっている
地獄へゆく
と
パパは
きっぱりと
言ってたけど
どこにも
ひとには
居場所
なんて
無い
と
わかった
地獄へゆくもの
生きる
も
死ぬ
も
ただ
地獄
それで
当然だなあ
くるしんで
くるしんで
おさとりしてくれた
お釈迦さま
どんなに
おもっても
悪
どんなに
ならおうとしても
悪
ただ
ひたすら
悪の自分を
ただ
なぞって
たしかめて
ごめんなさい
ごめんなさい
と
さんげしてゆく
そういう
いちにち
いま
ひとり
ひとり
くるしみにあって
くるしみは
それぞれで
他力
慈悲に
たのみ
すがって
生
つなぐわたしは
生きていること
によって
他の
姉上さまの
くるしみを
つくりだして
つなげてしまって
しか
生きていられない
どんなに
ごめんなさい
しようとも
救い
無い
死のお片付け
かなうかなあ…
逃げて
逃げて
たいせつなこと
からは
みんな
逃げて
祈るこころ
さんげの
祈り
つなぐ
せめて
祈りを
かたちに
ただ
ひとつ
と
おもえば
また
ふらふら
息がくるしくて
それでも
それでも
お掃除している
おろか
の
悪
の
祈り
ごめんなさい…
かなしませて
かなしませつづけて
ごめんなさい
無事
ただ
無事にいてくれること
祈ります
戦争が終わりますように
世界が平和になりますように
今日
無事に終わってくれて
しずかに
やすめていますように
倒れていないこと
祈ります
かならず
かならず
無事にいてください
ありがとう
また
明日
おやすみなさい