シーちゃんと

時々はシーちゃんとこっそり泣こう

一切苦

つたえられるのは

お仏壇のまえだけ?

って

 

そんなおもい

無くなった

 

お念仏と

おれるようになったのも

道元さまからのつながり

 

お寺お墓ゆけなくなったことも

 

ぜんぶ

つながって…

 

あちらでは

修行していてくれる

おしえていただいたのも

 

そうして

お念仏といるわたしになった

けど

 

念仏者

とも

仏教徒とも

おもわない

 

ただ

いっしょと

 

こちらも

あちらも

お浄土のひとたちも

 

みんないっしょって

 

そうおもわれたら

いつしか

お念仏と

あった

 

 

ありがとう

 

南無阿弥陀

 

南無阿弥陀

 

 

お家は曹洞宗なのだから

南無阿弥陀佛とはなんだ

というのならば

 

仏教とは?

 

なんだろう

 

念仏者だけ

救いとられるのでも無い

救いとられるための念仏

でもない

 

ただ

悪わたしの

お念仏だ

ごめんなさい

 

ありがとう…

 

 

無力無能無用

今日

まったく

そのような今日

 

今年も暑い暑い夏になりそう

ただ

無事に

祈ってた

 

 

お寺さん

どこも

くるしいのかなあ

そうおもうと

お寺お墓おもうと

とてもくるしい…

 

天国はあるって若和尚さま

おしえてくれてた

若くきれいになる

もうくるしくなく

たのしみとある

って

 

それはそれで

うつくしい

救いの解答

 

救わなくては

という

そういうおもいなんだろう

 

救わなくては

きっと

くるしいだろう

 

みえているのかも?

みえるひとと自分をそう言ってたから

 

うつくしい天国みえてて

そうして生きてたらなあ…っておもい

それも

きっと

くるしいかも…とおもった

 

くるしみ

 

どんなことも

すべて

にもなる

ひと

 

手放して

あちらへ

 

それ

安心

 

そうなってくれるのかなあ…

パパそんな旅立ちにみえたのに

 

まだ

たくさん

ごめんなさいくる

 

今日はまた

マンゴー浮かんで…

ごめんなさいって

最期に

食べさせてあげられなくて

 

ごめんなさいとなって

泣けてしまったよ

パパ

 

いま

このいま

 

ごめんなさい

 

いま

詫びる

 

ごめんなさいするより

ひとのようでなくなったわたしだ…

 

ぜんぶ

ごめんなさいなんだよ

そうして

ありがとうなんだ

 

ごめんなさい

 

ありがとう

 

南無阿弥陀

南無阿弥陀

 

つなげていただいて

 

ひきこもりにも

こわくても

かなう

ひとつ

ふらふらよたよたと

時々横になって背中のばしながら

 

南無阿弥陀佛と

ありがとうと

終えられた

 

ありがとう

 

 

暑い

のに

指先は氷みたい

 

こわい

 

うごけない

 

でも

食べた

食べられた…

いっぱい食べられた

 

なんでもいっぱい食べて

かならず無事にいて

お祈りしながら

ありがとうと食べた

 

なにもかも

ごめんなさいだ

 

生きていてごめんなさい…

 

壊れてしまった冷蔵庫にも…

ごめんね…って言ってた

 

 

言葉

はやい子だったらしいわたし

でも

内向的で

よわくて

泣き虫で

 

どうして?

どうしたの?

って

とにかく手を焼かせてしまう子で

なのに

怪我や傷の手当て自分でしてた?

 

パパママが語ってくれた

わたしstory

わたしの記憶?になった?

記憶が

薄くて?

どっかは

消えてて

 

やなせたかしさんも

似たようなことを言ってたのを

ラジオに聞いていた

 

苦多いちび?だった

ということだろうけれども

父親と死に別れ

母親とも生きて別れて

戦争にもゆかされてる

やなせたかしさんの苦

 

どきどき聞いてた

平和の

善のひと

 

悪わたし

恥じた

詫びた

 

よわさのせいにも

してならないんだ…

ごめんなさいしか無いんだ

 

知らない戦争のこと

おしえてくれるひといなかった

中学生になるまで

だいすきな先生に出会うまで

 

その先生は非戦非暴力のひとだった

自分も知らない戦争を学んで宗教を学んで

知らないものを知らないものに

おしえるようにではなくて

お釈迦さま?みたいにして

 

ひとと

ひととして

ひと

こういうものだということ

辛抱づよくおしえてくれた

 

 

昨日の本

著者への尊敬と

おそらくは

おそれとで

編まれて執筆完了したときのまま

執筆時の漢字や文章のまま

再版された本で

執筆されたのは

昭和二十五年だ

 

戦後数年経て

その仏教の本

世の中に出してくれた出版社は

いまだに残ってくれてる出版社

 

きっと

ずっと

残る

 

ねがう

 

安心と

読めるわたしに

またなれるかなあ…

 

ぜんぶ

捨てて

 

どこかへ…?

どこにもゆけないのに

 

ごめんなさいと

しばらく

すわった

また横になった

 

 

言葉

音楽

 

脳の場所

はたらいてくれるとこ

ちかいんだって

 

くるしいなあ…シーちゃん

夜は

絶対眠らなくちゃ?となる

眠くて眠れない

眠れなくて

起きてても

ごめんなさいだ…

 

絶対くるしい夜

絶対こわい夜

絶対は

絶対つなぐ

 

絶対と言えば

 

絶対音感の才あたえられたひと

音楽すべて脳内で瞬間的に

音符になる?

 

だから

完璧

すぐ

かなう

 

音符的楽譜的完璧かなえられても

感動は

 

かなえられない…?らしい

 

自分も

他人も

 

感動しない完璧って?

 

こころ

って

なあに?ママ

って

すわった

 

ごめんなさいとすわった

でも

背中くるしくて…

横になって

 

お念仏した

 

南無阿弥陀

 

ごめんなさい…

 

こわいと

こわいおもい

いっぱいになる

 

いっぱいの言葉になる

 

そのまま書いてしまってる

 

ごめんなさい…

 

 

平和を祈る

ただ

祈る

 

 

戦争が終わりますように

 

世界が平和になりますように

 

 

無事に…

 

無事にいてください

 

倒れないように

いっぱい食べて

いっぱい飲んで

 

どうか

かならず

無事にいてください

 

こえて

かならず

こえられて

 

明日へ

かならず

つなげていただけますように…

 

 

 

かならず

 

かならず

無事にいてください

 

 

ありがとう

 

 

また

明日

 

 

おやすみなさい