シーちゃんと

時々はシーちゃんとこっそり泣こう

明日はなろうという木は

ママの百箇日

卒哭忌

 

朝のお祈りは

いつもどおり

いつもの

いつもどおりの

 

ひとりの

 

頼りない

こころもとない

いたたまれないみたいな

そんな朝で

 

いつもどおり

 

だけど

 

頭痛や寒気が起きてきて

また気温が下がってきてるな

と気づいた

 

みんな

人生にこんなに

検温するってことも

これまではなく生きてきてる

と思うけど

 

入院してたって

いや入院してたら

他人まかせだから

むしろ体温なんて考えてなかったし…

 

一日に

不思議な乱高下

 

これってきっと

以前からあったんだろうなあ

 

 

パパが末期の胃がん(食道に転移)

ママが末期の大腸がん(おそらく…したたか転移)

そんな最期を見て知って

わかっていても

こんなに

 

病院キライ!なのは

もはや

遺伝子のせいかも…🙅

 

病院や歯医者が

スキ!って人もいるよね

そういう人はいまたいへんだよね

通えなくて

通わざるをえない人たちも

本当にたいへんな世界になって

 

ママが天国へ行き

 

今日は卒哭忌

 

 

変わりなく

もうすぐ

今日も終わる

 

 

 

何が大切だろう?

 

何を守りたいんだろう?

 

 

何を求めて生きているんだろう?

 

 

そんなことばっかり

考えて生きていた

物心ついて

 

今日も

 

わたしの記憶の始まりは

喪失

 

それ以前の

うすぼんやりした

小さなしあわせを

 

真っ黒く塗りつぶすような

大好きな大好きなおじいちゃんの

突然の死

 

 

喪失から

何かを得るなんて

ある?

 

まだ

わからない…

 

一生わからないんだろう

 

あとから考えて

つけくわえて納得してゆく人は

のりこえる人なのか

強いのか?

そんなことも

わからない

 

生きる

死ぬ

わからない

 

 

ここにある木で

あすなろ

という

ひばがあり

 

明日はひのきになろう

という木

不名誉な名前だ

 

 

わだばゴッホになる

 

棟方志功は叫んだ

とかいう

脚色

 

棟方志功

自分を信じて突き進む人間で

 

誰かになろう

とは願いもしない遺伝子で

 

自分を生きて生きて

生き抜いていたと考える

 

愛にあふれる

笑っている人だった

 

わたし

たったひとつのとりえは

笑っている人

って自分で思う

 

 

笑うよ!☺️ひとりで

笑ってたよ

なんとか

今日も

 

ありがとう…

 

泣いたんだけどね

やっぱりね

 

 

ひばが

ひのきになることはない

 

卑屈な名前

あすなろなんて

 

誰か

ヨソモノ先生が命名した?

わからないけど

調べないよ…

 

 

人は

何かでは変わらない

自分を信じて

自分で変わる

 

愛を信じて

今日を生きる

 

ひとり

誰しもが

ひとり

 

生きるも

 

死ぬも

 

 

自分が信じてやらなくちゃな

自分なんていう

つまらない

こんな

ヘンテコなわたし…

 

 

自分が生まれて

生きていること

 

いま

世界中に起きている

困難

 

綿々たる

つながりの

一面でとてもおそろしいけれど

 

畏れは

ずっとずっと抱いていた

 

抗えない

かなしみを

祈って生きている

 

卒哭忌

 

いつもどおりの

一日

 

 

明日はなろう

という自分があるなら

その夢を抱いて

 

今日を生きられるのなら

生きていようよ

 

想像して

笑って

 

そのうち

なりたい自分も

自分って

 

自分は自分って

 

自分を

信じられる自分になれるよ

 

 

 

そんな木なのかな?

あすなろ

 

 

気候風土が過酷な北国は

命懸けの生活して

生き延びてきた

遺伝子なのだ

 

 

自分を

信じて

 

愛を信じて

生きようね

 

今夜を

生きようシーちゃん😼

 

明日を信じて

 

生きてゆこう

生きていてほしい

今夜のご無事を祈って

生きてます

 

ありがとう

 

 

  

   歩きたい

   靴を探しに母の問う

   靴履いてるの?

   探そう靴を

 

 

卒哭忌の短歌です…☺️

 

ありがとう

生きています

 

生きてゆこうね

 

 

また

明日

 

おやすみなさい