シーちゃんと

時々はシーちゃんとこっそり泣こう

捨てたきは

お釈迦様のこと

仏教のこと

 

曹洞宗

その

両祖様のこと…

 

 

ここに生まれて

そこから

つながって

 

パパママの

お経の本

読んで

 

お経

覚えて

 

わずかな勉強は

まだ

つづけてるけど…

 

菩提寺

和尚親子に

仏教のこと

訊けるような

そういう気持ちには

まったく

ならず…

 

とうとう

お寺へ

ゆくことすら

できなくなって…

 

排斥?

 

いらないわたし

となって…

 

でも

 

もう

どうでもよいこと

おもえてきた

 

 

すべては

ただ

供養へと

向かいたいがため

 

それだけ

だったに違いないのだった

 

どこへ

ゆけなかろうが…

 

 

祈りと

供養と

 

一心に

一日

一日

生きていたら…

 

そう

おもい

すこし

ほんのすこしでも

 

捨てるもの始末

 

なんだか

あまりに寒い

そして

眠い…

 

落ち込むような

かなしみがきて

飲み込まれ…

 

 

たんぱく質

お肉とか?

しっかり食べたらよいのだろうなあ…

せめては

 

大豆と煮干し

玉子!

こつこつ食べた

 

カスピ海ヨーグルト

 

実験は

成功

ちゃんと

できてた

 

お腹

いっぱいすぎ…

 

いっぱい

といえば

 

縫い物の小物や

材料

かわいらしい飾り物など

わたしは

小さな

かわいいものが大好きで

 

こまごまと

いろいろあって

 

何もない

整然とした

お寺のようなお家

目指してない

とわかった

 

到底無理

 

 

捨てたきものは?

 

なんだろ?🙄

シーちゃん

 

そもそもが

 

お家

もので

ぱつぱつ

ぎゅうぎゅうで

 

片付けねば

捨てねば

どうにもならない

っていう…

そういうスタート

 

さらには

 

ネズミが出没したり…

 

 

追われるようにして

追い立てられるようにして

 

ちっとも

たのしくない片付け

となって

 

 

捨てたきものは…

 

迷える

自分…

 

仏門

目指す

ということは

 

身を捨てる

ということ

 

 

生きながら死ぬこと

って

瀬戸内寂聴先生が言ってた

 

良寛さんも…

 

捨てし身をいかにと問はば

ひさかたの

雨降らば降れ

風吹かば吹け

     良寛

 

 

山に登ったり

野山を

ひたすら

歩いたり

 

本来

そういうこと

冒険みたいこと

好きらしいわたし

 

怖がりでなく

アレルギーでなく

 

弱者

でもなかったら

 

漂泊の旅

してるかも

 

 

そんなつもりで…

 

祈りと

ゆこう

 

仏門

その

扉は

 

どこにいたって

 

おもい

あれば

 

開かれてるなあ…

 

 

ありがとう

 

 

捨てたい

そう

おもううちは

きっと

捨てられっこない

 

 

迷惑かけて

生きていて

 

施しに

いのち

つなぐ…

 

生きてる

 

祈って

生きる…

 

 

戦争が終わりますように

 

世界が平和になりますように

 

 

眠くて

くらくらする

 

 

一日

生きる

という幸福

 

ありがとう…

 

 

雨の音?

雪が溶ける音?

 

眠り

誘う音だ…😑

 

 

今夜

ゆっくり

ゆっくり

休めるように…🙂

 

かならず

かならず

無事にいて…

 

倒れていませんように!

 

ありがとう

 

また

明日

 

おやすみなさい