ひと
老いて
ひとりで生活が
不自由となって
手助け必要
となれば
介護看護等保険内の
制約された時間内で
生きる
を
第一に
まずは
食べる
を
介助してもらう
ということなる
施設でも
自分で食べることできるひとたちは
たいへんお元気だったけれど
とても少なくて
介護は
たいへん
と
申し訳なく
ありがたく
おもった
いまも
ありがとう
と
おもう
ひとりで
独居でも
お家にいたい
と
ねがうひとの多くは
神仏を祈るひと
であったりするらしい…
それら信仰信心は
こだわり
と
括られていたりするらしい
その無意味とおもわれるようなこだわりを
否定してしまうと認知症が悪化する
と…
そっか…
ひとが
やがて
ゆく道を
ひとが
ひとを
区別して
違う世界の
違う生き物
のようにしないことには
成り立たないほどに
介護看護
とりわけ
在宅
となれば
逼迫している
窮状
と
おもわれる
ママの在宅介護でも
知らされたけれども
あれから
さらに
人手不足になり
コロナの後
その弊害で
要介護のひと
増えているらしい…
自然のように
自然のままに
といって
法爾自然
ほうにじねん
とは
ゆくはずないなあ…
シーちゃん
パパ
ママには
ありがとう
しかないなあ…
支えてもらった
姉上さまにも…
って
おもうと
泣けてきた
法爾自然
って
そうか…
房号…
って
法然さま
と
おもい
念じたら…
すぐれた師
お正師さま
得たならば
つらくはないかなあ…
などと
余計なこと
おもって
證空さま
おもった
ちかしい
かわいい?
おっかなくない…
お正師さま
おそばに
おられたらなあ…
って
あたたかな十二月
さえも
その
新たな
自然?
にも
こわいなあ…
って
おもう
こんなだから…
わたしの
こわい
は
たくさん
数知れず
あるのだった
気がついたら
こんなわたし
で
こんなわたしが
生きてけてるのは
姉上さまの
慈悲のおかげ
ここに
うまれついた
縁起のおかげ…
死ぬなら死のう
と
おもう
いつしか
お片付けは
死のお片付け
と
おもう
そこから
なぜか
追い込まれた…
というのか
または
知った
というか…
自分
おのれ
というものが
まるで
わかっていなかった
ということが
ようやく
わかってきた
その
おかげなのかもしれない
いちばん
わかっていないものは
自分だ
と
わかった
他人を
わかろう
などとは
もとより
おそろしくて
おもわないけれど
ちかく
そばに
じっといる
そういう機
あたえられたならば
そのようなわたしであろう
とは
ねがう
ねがい
パパママには
姉上さまの
慈悲によって
かなえてもらった
救い…
ありがとう
わかっているのは
ここは
やがて
さらに朽ちてゆく
ということで
わたしは
もっと
もっと
ぜんたいに
非力になる
ということ…
いま
いのち
あたえられて
いま
あって
ひとつを
たとえ
食べること
だけでも
おのれで賄えたならば
最上の幸運
幸福
と
おもう
風邪引きみたいな
へんてこ
ふらふら
ちょっぴり
抜けた
声は
変…
だけど
ありがとう
って
祈る
稲荷大神さまの十日
炊きたての小豆
すりたての胡麻
という
姉上さま
ごめんなさい!
の
いつもの
毎日のお供え物と
同様のもの
お供えして
おまいりした…
おそれ
は
自然破壊からの
いまだかつて無い
おそろしい災害も
さらなるウイルス
その感染爆発も
ここから
また
戦争が
おこされてしまう
連鎖も…
いま
死の
恐怖に
眠ることもできず
死に
ちかくあるひとが
多く
多く
いるのだなあ
と
なんにも
できないわたしだなあ
と
無力
こわいほど
何の役にも立たぬ
自分だ
声
おかしいので
お経
おとなえできず…
しずかに
しずかに
祈った
戦争が終わりますように
世界が平和になりますように
お片付け
明日
めざめられたら
明日
あたえられたならば…
まさしくの
死のお片付け
と
その
おそれ
もって
ひとつ
始めよう
けれども
祈りとある
いま
この
幸福を
ありがとう
って
祈る
ありがとう
倒れていませんように
しずかに
やすめていますように…
かならず
かならず
無事にいてください
ありがとう
また
明日
おやすみなさい