シーちゃんと

時々はシーちゃんとこっそり泣こう

泣くのは

外も見ない朝

もうお昼近い

無為に過ぎてしまう

小さく切り刻まれた時間

どんどん健康から離れてゆく体

運動のいちばんよいものは

歩いたり走ったりすること

壁を見て

踏み台昇降して

 

泣いた

シーちゃんと

 

あなたは、泣くから!

 

 

そう否定されつづけて

つらかった

 

 

でも

もう

自分の気持ちを自分の言葉で

伝えることにした

 

昨日みたいに

 

否定しても

批判しても

本当は

その先を思わなくてはいけないんだから

 

泣いている人間に

泣くな

と、言えるのは

いっしょに泣いてくれる人だけだ

 

だから

死ね!

と、言ったわたしは

昨日

死ぬべきだった

死にたくなった

死なねばならない

 

そうして

自分を

殺す

なんて表現になり

 

なんて幼稚で短絡的で

 

馬鹿だ

愚かだ

 

わたしが

死ぬべきだ

本当に

あんな風に思うのなら

 

 

ひとりで頑張れることが

かかわりや意見を求めると

揺らぐ

 

これでいいのか?と

 

わたしは

わたしで生きるしかないのに

 

絶対

とか

完璧

わたしの価値観にない

わたしの信じる

大きな存在の

(その存在が神か仏かをわかっていないので)

領域と

 

いつも

とりあえず

自分の出来ること

自分がよいと思うこと

信じること

とにかく

始めて、つなげて

 

ようやく

生きてきた

まだ

そうして生きている

 

多くの人たちとは

違う

かけ離れた生き方かもしれない

 

頼りなく

不足なのだろう

 

仕方ない

 

泣くのは

弱いから

 

つよくならなくては

 

昨日のような

またふりだしにもどるような

馬鹿をやっている場合じゃない

しっかりしろ!

 

 

泣くことも

馬鹿なのも

やっぱり

わたしって

わかった

 

次が

あるなら今度は

 

はっきり

伝える

これからは

 

能力に

努力が

勝らなくては

乗りきれない

 

自分も

ママも

わたしが自分で守る

 

 

廊下を走ろう!

階段をかけ上がろう!

 

泣きたかったら

泣こう…

 

 

死ぬことは

怖いことじゃない

ママはいま

天国までの道の途中

死ぬのは

人間の最後の仕事

自分らしく

その時を待つ…

 

ママは立派に母親をしてくれているから

わたしも

立派な娘になれるよう

再び

育ててもらおう

 

まだ間に合う

 

生きているから

 

理解されないなら

離れるのは

わるいことじゃない

 

手放すのも

 

 

泣いたって

いいよ

自分に言うよ

 

泣け!って

動け!って

 

 

 

さあ!

 

いまからまた頑張る

昨日は

もうない

 

今夜

また

笑って終われるように…

 

シーちゃんと

泣いた

日曜の朝…