シーちゃんと

時々はシーちゃんとこっそり泣こう

桜の道をゆけば

桜の木の下を通って

歩いていたら

 

ママが

まだ

施設で待っているような…

そんな気がした

 

一時間かけて

歩いてママの待つ施設まで

歩いて行ってた

この時期は

 

施設までの道のりに

途中途中

見事な桜の通りがあり

 

朝に作った小豆のお菓子

今頃は柔らかい薄皮の桜餅のようなもの

リュックだと

形崩れたら嫌だなあ…と

 

保温のお弁当バッグに

保冷剤入れて

大切にかかえて

 

ひたすら

ひたすら

歩いてゆく…

 

 

ママは

天国?

それともここにいる?

いるよね

 

いてね…☺️

 

 

熱に苦しみ始めたのも

腹痛を訴え始めたのも

桜の頃だった…

 

痛かったのかな

 

苦しめてしまったのかな

って

 

ずっと

悲しかった…

 

 

ようやく

施設の何人かの人に吐かれた

言葉の傷つきは

癒えつつある

 

そのような言葉では

いや

もっとひどい言葉でも

 

どんな言葉であっても

 

ママは

ママで

変わらない

 

その人格が揺らぐものではない

と思える

 

現に

病院に行くというので付き添い

出発するという時

ママは

「お世話になりました

 ありがとうございました」

施設の皆さんにご挨拶した

 

 

認知機能も衰えて

高熱があったのに

途中の車の中でも

これで見納め

とでも言うように

 

わたしの顔と

途中の知っている場所の景色を

交互に見ながら

 

黙って

わたしに頷いていた…

 

 

人格は

壊れない…

 

わたしは少しだけ

認知症が怖くなくなったけれど

 

その時はまだ

やっぱり

ママがかわいそうでならず

しっかり

手を握って

 

だいじょぶ!

だいじょぶ!

治してもらうよ…

 

と言うのが

精一杯だった…

 

 

今日も風が吹いて

桜が散っていた

気温が高くなってきたけれど

 

朝晩は

とても寒い

草は

ぐんぐん伸びていて

 

お隣さんも草取り!☺️

いたちごっこ

かないそうになく

 

ますます

何をしていても

ママをおもうようになってきた

春は春で

せつなく

 

施設を後にした夏の終わりは

もっと

せつなくなるのだろうな…

 

冬は…

 

 

泣いちゃいけないし…😿

 

おじいちゃんの月命日

仏壇の前で

お話して

笑い泣きのようになってしまった…

 

 

困難な時代になって

先が見えなくて

 

誰もが

必死に生きていて

今日も救急車は忙しく

 

わたしは

これから

わたしの人生を

どう生きられるか

とにかく

 

もう少し

お家ともども

身軽になろう…

って

 

今日は

あちこちの部屋に

いらないもの広げたまんまで

 

力尽きたよ…😣

シーちゃん🐱

 

明日がんばります…

 

捨てようと思ってた黒いセーターは

とっくに捨ててたんだっけ…

記憶にあったような気がして

忘れないとしても

 

大切なものとは限らない…

 

そんな調子で

どんどん捨てよう!☺️

 

新しい人生を

 

新しい道を

与えられるように!!

 

泣かないで…

 

 

 

   いつまでも

   大人にならぬ吾のことを

   赤子のやうに

   撫で給ふ母

 

   いつまでも

   育たぬ芽また冬を越し

   栄養されて

   日浴びる春

 

 

今日の短歌です…☺️

ありがとう

ママ

何度も何度も

 

頭やほっぺた背中

なでなで…

してくれました

 

伸び過ぎて

差し芽したシャコバサボテンは

 

伸びもせず…💧

 

なんかシンパシー…😒の

様子見中です

生きてね

お願いね

 

コロナの脅威は…

 

 

あなたのご無事を

祈って…

 

 

明日のために!

ゆっくりゆっくり

眠りましょう…

 

倒れないように

 

みんな

希望に

平和に!

向かって

 

ぐんぐん

歩いてゆけますように!☺️

 

 

ありがとう

 

 

また

明日

 

おやすみなさい