夢に
あらわれてくれた
うつらうつらして
明け方
友
天国の友
わたしの友は
みんな
天国にいるのだけれど…
いちばん
さいしょに
旅立った友
若くして
召されてしまって
最後に
約束
してたこと
かなわなかった
夢にも
悪なのか…わたし
シーちゃん
って
起きて
ああ
夢
と
わかった瞬間
おもった
夢に
あらわれてくれたならば…
って
どんなに
祈ってただろう…
どうして?
いま?
ごめんなさい
言えなかった
ずっと
こころに
ごめんね
言いつづけてきてたのに…
なんだろう…
心の底にも
素直
なくしてしまったのか…
やっぱり
わたし
悪だ
と
おもってた
わたしは
いつでも
誰かを傷つけている
誰かを
傷つけて生きてきて…
未だに
誰かを
傷つけて生きているのだ
と
自分に
くりかえしてた
われひとり悪
ごめんなさい
また
お仏壇のまえにいた
背中が痛い…
生きて
ある
そのこと
幸福の
すべて
と
なっているなあ…
それは
同時に
生への執着なのかなあ…
なにひとつも
できそうもなく
なにひとつも
はかどらなくて
それでも
生きているよ
今日は
いまは
生きているんだ
ありがとうだよ…
って
自分に
天国の
ひとたちに
言っていた
捨てること
いつまでも
慣れない…
かといって
残すものといえども
つかえないままでは
やがて
無用の
捨てなくてはならないものになり
ごみ同然
に
なるのだなあ
お経は…
くるしみに
かなしみに
いつしか
おぼえてしまったんだけど
いま
お経
くるしい…
かなしい…
お経が
功徳
という
回向文…
つきささってくるなあ…
悪
徳も
智恵もなく
悪の自分が
お経…
と
そう
なってしまった…
ごめんなさい
お経にも
罪悪感を
いだいてしまうようになった
われひとり悪
の
わたし
わたしというものありき
によって
ひきだしてしまったのだろう
ひきださせてしまったのだろう
つよく
激しい言葉たち
おそいかかってくる…
こわい
くるしい…
仏壇のまえで泣け!
おじちゃんの声
きこえてくるような気がした…
おじちゃん…
ごめんなさい…
姉上さま…
ごめんなさい…
天国の
ひとたちまで
かなしませてはいけないなあ
と
お仏壇のまえに
すわって
できる
を
ひとつ
だけでも
と
すこしして…
でも
泣けて
ごめんなさい
お念仏みたいに
くりかえしてた
お念仏
ひびいてくれるような…
そんな
きもちしていた…
ありがとう
ごめんなさい…
阿弥陀仏の本願は
名号をもて罪悪の衆生をみちびかん
とちかひ給たれば
ただ一向に念仏だにも申せば
仏の来迎は法爾の道理にてうたがひなし
いま
救う
すべて
救う
と
身をすて
命懸けに
誓ってくださって…
名号
南無阿弥陀佛
それ
そのまま
功徳
法爾の道理
素直
自然
あるがまま…
自然法爾
えられたもの
なにもなく
あたえられたもの
に
まもられて
いま
ある…
いま
生きているなあ…
ありがとう
と
すわった
戦争が終わってくれますように…
世界が
平和になりますように…
自然
おおきく
かわってゆくんだけど…
すこしも
ゆるやかに…
すこしも
よいほうへ
いちにち
いちにち
大事なく
無事にいてください
倒れないように
やすめるように
祈っています
かならず
かならず
無事にいてください
ありがとう
また
明日
おやすみなさい