シーちゃんと

時々はシーちゃんとこっそり泣こう

のこせないものを

ひとつ

でも

減らす

 

もの捨て

お片付け

つなげてきて

 

いつからか

うっすらと

わかってきたこと

 

 

いのち

って

 

のこせないものを

つなぐためにあるんだなあ

って

 

 

そこから

おもうならば

 

もっと

捨ててよい

 

捨てることがよい

 

そうとも

はっきり

わかってきてる気がするんだけど…

 

なかなか

捨てられないもの

あるんだよなあ

 

 

ものに

おもいは

のこせない

のこされてはいない

って

わかってるのになあ…

 

 

おもい

のこしてるのは

わたしなんだなあ…

シーちゃん

って

 

やっぱり

かなしくなってた

 

おろか

 

ずっと

ずっと

なにやら

どうしようもなく

かなしくてならなくて

 

かなしくて

ただ

はらはら

どきどきしてて

 

まともに

なにか

できているとは

まったく

おもえない日々

 

 

まもられて

ある

 

そうでもないのならば

 

いま

ないなあ…

って

おもっていた

 

ありがとう

って

 

 

ありがとう

ごめんなさい

って

つなげて

 

お祈りして

 

ようやっと

生きている

 

いや

生きている

などという言葉

 

つかえないなあ…

 

 

生きている

手ごたえ

 

実感さえ

 

もう

ない…

 

 

絶望

妥当なのだろう

こんなきもちは

たぶん

絶望だ

わかるんだけど

 

目の前には大量のもの

そこかしこに積まれて

 

どこにどう

なにが

どれだけあるのか?

 

よく

わからなくなっていたお家

 

また

ものふえてゆき

 

何十年もの時が

止まって

置かれたものたちと

渾然一体?

 

さらに

時が過ぎてしまって…

 

ネズミきた

 

それで

そのおかげで

きれいにできたところ

あって

 

そこから

 

それ以前に

もの捨てに

救われていたんだ

とわかった

 

まだ

おっかながってるネズミにも

その後の

雨漏りや劣化にも

 

結果として

救いがあるのだ

とわかった

 

お家に

置き去りの

おもい

すこしも

手放せたんだなあ

って

おもっていた

 

 

ありがとう…

 

捨てられないもの

 

見ると

つらくて

くるしくて

やりきれないもの

 

まだ

あるけれども…

 

きっと

やってきてくれるんだよ

自分に

言ってた

 

 

 

音楽

 

書くひと

描くひと

奏でるひと

 

なにかを

つくるひと

 

すべて

のこせないもの

もとめているのかなあ

 

見たくて

 

つかみたくて

 

ずっと

こころに

おもいとしてある

消えないもの

 

刻みつけて

 

そのひとのなかに

 

ずっと

いてほしくて…

 

つなげたくて

そうして

表現するんだろうなあ…

って

おもっていた

 

また

短歌

つくれたらなあ

そういう

こころに

 

たどりつけたらなあ

って

おもったら

なさけなくて

 

申し訳なくて

おやすみしよう

って

お仏壇のまえに

すわった

 

遺影の

パパは

笑顔

 

パパ

しあわせの笑顔だ

 

ありがとう

って

祈っていた

 

 

パパ

旅立つ

その

瞬間まで

 

おそらく

自らを

 

地獄へゆく

 

そう

おしまいまで

ずっと

おもわずにいられなかったんだろう…

 

くりかえしていた

その言葉

 

俺は地獄へゆく

 

という言葉

 

まだ

こころにあるなあ…

 

自分は

悪である

という

おもい

絶望

 

語ってくれてたんだ…

って

 

 

絶望を

 

じっと

たえて

 

見つめていたのかなあ…

 

ひとり

 

真夜中

ひとり

 

祈っていたかなあ…

 

 

 

親鸞聖人

命懸けの修行を

つなげ尽くして

 

その果てに

聖徳太子

救いもとめ

 

 

法然さまに

ゆきついた

 

 

南無阿弥陀

 

ただ

申せ

という

 

そこに

たどりついた

 

 

 

なぜだか…

 

パパが

おもわれて

 

泣きたいきもちになってて

 

ひとびとの悪

すべて

負って

 

十字架にかけられた

エスさま

 

ただ

ただ

たよりに

 

たのんでいたかなあ…

って

 

おもっていた

 

 

 

浄土門

他力

 

南無阿弥陀

 

念仏

それから

 

道元さまの

正法眼蔵

生死のところへ

つながってるなあ…

って

おもっていた

 

 

おろか

知らされるばかり

そういう

いのち

 

どうしようもなく

なさけなくても

お片付け

もの捨て

 

ひとつ

いま

 

つなげてもらっているなあ

ありがとうだなあ

って

パパに

言った

 

姉上さまに

こころに

言ってた…

 

 

 

自力

なんて

なくて

 

ありがとう

って

祈るばかりだなあ…

 

 

あの

お寺さんでの

衝撃が

おもいつなぐ祈りとなってくれたけど

 

どうしてか

 

絶望のようなもの

にも

なってしまったんだけど…

 

くるしくて

もとめたもの

 

かなしくて

すてられたもの

あって

 

なにひとつ

欠けていても

 

いま

ないんだなあ…

 

ひとつ

ひとつ

つなげた

 

 

のこせないもの…

 

なんにも

のこせないなあ

 

のみだ

 

刻んで

 

のこしてしまう

おろかなわたしだなあ…

って

懺悔した

 

せめては

せめては

迷惑を

ひとつ

 

ひとつと

捨ててゆくよ

って

もの始末した

 

のこされたものたちは

わたしにしか

無用のもの

って

 

もう

わかっているんだけど…

 

 

ごめんなさい

しか

ないなあ…

 

 

ありがとう

ばかりだなあ…

 

 

 

いたむ

くるしいニュース…

 

平和に

ちかづいてゆけるように…

 

ちいさな

ちいさな

平和の

おもいでも

 

つなげてゆけるように

祈っていた

 

 

 

いちにち

いちにち

無事

終わっていますように

 

食べて

眠って

 

倒れていませんように…

 

 

かならず

 

かならず

無事にいてください

 

 

ありがとう

 

 

また

明日

 

 

おやすみなさい