あと少しで
新しい年
テレビも見ない
端末も必要ない普段と
大晦日特例で、違うことしよう、という気になって
録画していた番組を見た
中村哲医師の特集番組の再放送
こないだ
犠牲、という単語で
しばらく悩んでいた…
ママの犠牲になっている、と、あなたが少しでも思うなら
ママの介護なんかやめてしまえ!
ということだったような…
心配が
過ぎると、怒りになる?
姉上様…
わたしの、ふわふわした空気が
姉上の癇に障るのだ
しっかり者で心配性
二度読んではいけないな…
と思われる文章は
何であれ
わたしは繰り返して読まない
すべてに平和主義
誰ひとりに
勝ちたくない
勝ちたいのは、この弱い自分
でも
自分とも、なるべく
闘わない
折り合いをつけてゆく
感情は
流れて消える
だから、感情的と思ったなら
それらが消えた頃の言葉が
本当の気持ちや、真実に近い
待つことが難しい世の中だから
返信は、とりあえずするけれど
悲しげな様相が、にじんでしまう
というか
にじませてしまう…
まだまだ、弱いわたしだ
犠牲というなら
大切なものを、もっと大切な目的のために
投げ出すこと
そして、その覚悟のことだろう
犠牲的な行動が、この世界を支えている
わたしは、そういう強く厳しい
本当のやさしさに触れて
わたしも、その人のように生きたい、と
強くなりたい、と思った
だけど
わたしには
投げ出すほどの大切なものは、ない
自分きり
こんな、取るに足りない自分きり
覚悟は、必要でしょうか?
その人に聞いた
迷いがあったわけではない
強い覚悟を持つ人に
答えを、聞いてみたかった…
覚悟は、ないよりは、あったほうがいい
ふわふわなわたしを見越しての、やさしい答え…
わたしも
覚悟を、決めるんだ…
あなたを
みならおう
わたしも
笑っていくよ
わたしの、ふわふわした空気
覚悟でさえ、ふわふわ…
でも
これでいい
これしかない
これが
わたし
涸れ果てたアフガニスタンに
どこまでも
緑が広がっていた…
不機嫌が
殺人と同じ罪だと
いつも笑っていなさい
と教えられた
笑うことは
平和のいしずえ
どんなことがあっても
笑っていく
取るに足りない、わたしだから
あなたとの約束だから
新しく
生まれ変わったつもりで
だけど
いつもの、ふわふわで
笑おう!
明日からも
笑っていくよ
いつもどおりに
シーちゃんと!
あなたの笑顔が
みんなを元気にしているね…
今日ママが笑ってくれた!
笑っているわたしを見て
きれいだ…
って!
今年最後のママの言葉は
きれいだ
でした
ママは
笑っているわたしが好き
けど…
ママの目、ちゃんと見えているかなあ?
とも思った…
もうすぐ
新年!