シーちゃんと

時々はシーちゃんとこっそり泣こう

真心

この夏は

とうとうご近所さんの

ママと仲良くしてくれていた女性から

逃げて

 

この辺りでも

すでに珍しくなってしまったけれど

お盆の迎え火から送り火のあいだの十日ほど

毎日火を焚いて

御霊を祈る

そのあいだ

 

一度も会わず

 

一言も話すこともなかった

 

ということは

 

最後に彼女と話したのは春で 

 

春から

半年近く

わたし

誰とも会話していないんだなあ

情けない気持ちになった

 

彼女が

春にママの亡くなったことを聞いて

悲しんではくれたけれど

すぐに

身内の愚痴のような話になり

 

何だか突然拒絶されたような気がしたし

話させてしまったらいけない

とおもったりもして

 

及び腰になり

逃げて

避けた…

 

 

本当は

真心をもって

受け止めて

 

いつもの話のように聞いてあげて

それから

いつものように

 

その身内の方の

おそらくは心配な気持ちとか

 

そんな本心を知りながら

この時代に

不安がつのって

ついついわたしに

以前ママが元気だった頃のように

ママに話すように

 

おもいがあふれて

堰を切ったみたいに

話してしまったのだろう

その女性の気持ちに

寄り添うべきだった

 

急に

寂しくなった

 

 

人が

人であるからには

人と共に生きてゆくしか

こころのよりどころはないのに

 

危うい自分を

あらためて認識し

反省した

 

 

ほんの時折の

短いメールしか

それも

姉上さまとおじさんだけ

 

そのつながりしかなくて

 

生きている

と言えるのかなあ?

シーちゃん

 

 

それでも 

かろうじてコロナの感染防止にだけは

かすかな意味があるのだ…

怖いような

 

本当に

本当に

たいへんな時代になった

 

 

医療の逼迫

自宅療養者の死亡

重症者数

死亡者数

 

毎日のニュースの言葉の陰の

たくさんの人生をおもう

ひとりひとりの

大切な人生

いのち

祈る

 

誰も想像しえなかった時代に

それ以前の孤独を

引きずって

 

さらに

逃げて…

 

 

数年はみなくてはならないという

落ちつくまで

それは

予測で

 

どうなるかは

わからないけれど

 

できるなら

かなうなら

 

不思議な

奇蹟のようなこと

起きてくれたらなあ

不埒な願いを抱いては

 

 

無心に

かえり

 

今日も

いつものように

お経をあげた

 

ママのように

みてもらえていること

 

そんなわたしじゃないけれど…

申し訳ない

 

おじさんも

ママにわたしをかさねる

 

だから

頑張れ

と言う

 

 

あの中村哲さんを

アフガニスタンに導いたものは

信念でも

哲学でも宗教でもなく

 

昆虫だった…

 

 

人の縁は

やっぱり

奇蹟

 

縁に導かれ

縁を大切にして

 

真心をうけとり

真心を伝えた

 

ママの人生もだ

 

わたしは

逃げて…😿

 

 

これからだって

いまからだって

 

間に合う

そう

信じて

 

祈った

 

 

義理人情に流されながら生きているだけで

確たる信念を貫いているわけではない

という

中村哲さんの言葉

噛みしめる

 

 

キリスト教も仏教も

深くを学んだわけではないけれど

通ずるものがある

 

 

くう

 

という

無心

 

どうして

人は祈るのか

 

 

無心の

 

無意識の

 

何かしら満たされるものへと

豊かさへと

祈るのだろうなあ…

 

 

   月隠れ

   眠れと言ふか

   闇におち眠れずにゐる

   命のために

 

 

今日の短歌です…ありがとう

 

 

不安なこころを

祈りは

慰めてくれる

隣に

いてくれる

 

 

真心をもって

伝えられる人になりたいな…

 

消えてゆく言葉を

一生懸命つなげて

ママが伝えてくれたことは

 

人を

愛しなさい

ということだったとおもう

 

 

雨の夜になった…

 

今日が

無事に終わってくれること

そうして今夜も

ゆっくり眠れているならよいなあ

祈っています…

 

 

ありがとう

 

また

明日

 

おやすみなさい