シーちゃんと

時々はシーちゃんとこっそり泣こう

こわい

って

 

はらはら…

って

 

どっからくる?

 

自分に問うて…

 

お仏壇のまえに

座る

 

自分

から

 

この

自分

ぜんたいから

 

だから

ぜんたい

こわくなるんだ

 

これも

自分で

おもう

 

頭で

わかりすぎるほど

わかっていること

 

わかっているのに

なかなか

消えてくれない…

 

 

こう

すべき

 

こう

しなくては…

 

いっぱい

 

いっぱい…

ぱつぱつに

 

つまりまくってる頭

なのに

できなくなる

 

こわくなっては

へとへとになる

 

こんな

厄介な

回路を

 

自ら

つくり

共存してるのだった…

 

 

いちばんたいせつを

 

なぜか

 

そっと

そっと

つつんでしまってるなあ

 

どきどき…

はらはら…

 

できない…

落ちたりもする

 

自分を

おとしめたり…

挙げ句

 

泣いたり…

 

なんも言えない

なんもできない

って

 

へんてこな

わたしのこころ

 

 

脳の働き

という側面から

考えてみれば

 

したたかに

これでもか!

 

自分の脳機能に

その

過剰で無軌道な

働きに

むしろ

さんざんに

傷めつけられて…

 

死滅退化

してってるようで

 

わたし

まだまとも?

って

 

鏡の

自分に問う

 

 

それでも

 

そうやって

生き抜いたんだよ

 

自分の脳内の

どっかの部分は

答えてくれた

 

でも…

でも…

 

って

また

泣けたりする

 

 

くるしい

つらい

とは

おもわない

 

おもえていない

そのことも

 

さらに

闇は

深い

とも

おもったりもするのだった

 

 

 

こころの

ありか

ならば…

 

この内に

おられる

という

仏を

見失ってはならないのだ

おもう

 

ありがたく

ありがたく

おもう

 

 

ただ

畏れるべきは

 

天であり

仏であり

 

祈るべきは

天であり

仏であり

 

共に

生きるべきは

天であり

仏である

 

そう

おもえてきて…

 

お仏壇に

祈る

 

こわい

こわいニュースは

聞かず

止めた…

 

 

戦争が終わりますように

 

世界が平和になりますように

 

 

ちいさな自分

立ち尽くす自分

 

闇夜のような

一日

 

一日

ただ

生きて

 

食べて

生きて

 

祈りと

生きて

 

生きてること

ありがたくて

できる

ひとつ

 

できたなら

泣きたいくらい

うれしくて…

 

ありがとう

ありがとう

 

生きてきたなあ…

 

生きてるなあ…

 

祈る

 

 

へとへとの脳と

へとへとの体で

耳鳴り

ききながら

 

今日は

よい日

ありがとう

言った

 

 

こわい

っていう

そこからの

完全脱却は

のぞまない…

もう

 

この

よわい

こころ

生きるんだ

 

よわく

ちいさな自分と

生きるんだ

 

そう

おもうと

できる

ひとつがあって…

 

 

今日

いま

ひとつ

 

ひとつ

つなげられて

生きてられるのだった

 

 

よわくて

ちいさなことさえも

ありがたくて

泣けてくる…

 

まもられて

いま

在る自分は

すでに

幸いを

あたえられている

 

今日を

いまを

あたえられて

生きてるんだなあ…

 

せつな

せつな

おもうのだった

 

 

すべては

他力だ

おもうのだった

 

 

 

なにひとつも

ただの

ひとつも

 

ひとり

立ち

 

ひとり

成す

なんて

 

たったひとつ

なくて

 

すべては

ひたすら

ありがとう

なんだ…

 

ありがとう

って

泣けてくる

シーちゃん

 

 

奈良美智さんが…

 

 

自分の中では鬱だ

 

こないだ

ツイートしてた…

普通に見えるだろうけど

自分の中では鬱

って…

 

 

お酒

飲み過ぎないとよいなあ…

 

 

お酒

飲むひとは

 

お水も!

いっぱい!!飲んでるとよいなあ…

おもった

 

祈ってる

 

 

中村哲さんは

クリスチャンだけど

仏教徒

おもいに

ちかく

 

言うとき

かならず

言っていて

 

とても

しっくりきた

 

わたしは

姉上さまの

慈悲に

支えられて

かろうじて

生きていて

 

アフガンのハンセン病のひとたちについて

中村哲さんが

 

皆の慈悲にすがって生きざるをえないのは事実

語っていて

 

けれども

アフガニスタンの患者たちは

日本人が考えるほど

精神的には

迫害をうけてはいません

と語っていた

 

 

ハンセン病の書物

たくさん読んでいたので

 

よかった…

おもった

 

アフガニスタン

困ったひとを助ける気風

それを消さないように

支えてゆくことが

大切なこと

語っていたのに…

 

だからこそ

 

慈悲

すがっている身にも

できることを

つなげて

 

祈り

つなげて

 

生きよう…

おもった

 

 

世界は

平和に向かっている

とは

言いがたくとも

 

かならず

かならず

平和は

かなう

 

祈る…

 

 

夜は

おだやかに

休めているように…

 

お水

飲んで

 

かならず

かならず

無事にいてください

 

 

ありがとう

 

また

明日

 

 

おやすみなさい