とは
道元さまは
言ってないのだけど
曹洞宗の
えらいお坊様
尼僧様が
言う言葉
なんかちがうかなあ?って
浅く
までも
たどりつけていない不勉強
無学のわたしさえも
違和感というか…
こわい…
って
何度も
おもうことあって
そのおかげで
道元さまから
良寛和尚へとつながってくれて
道元さまから
おにいさまの
證空さまへと
たどりつくことできて…
凡夫
っていう
一般的な市民という
そういうところへも
ゆきつけなかった人生で
パパママの病からは
バリアというのか
味方というのか
ここまでの
ただおろかな
よわい自分の
最後の砦
ともいえるような
いちばんたいせつなもの
ここから
ひたすら
失ってゆくだけみたいな…
ただ
こわかった
姉上さま弟いてくれて
ひたすら甘えてしまって…
助けて支えてもらわなかったら
パパとも
ママとも
いっしょにいられなかった
いまも
こうして
生きてられなかったかも?
シーちゃん
ありがとうと祈る朝
じっとり冷えるみたいな朝だった
ありがとう
って
めざめられた朝
ふらふら
はらはら
どきどき
加速してる?
階段
転げそうな…
とにかくひとつでも捨てる!
と
念じて
祈って
手をかけられそうなものを
ふらふらでもできそうなことを
ひとつ
と
つなぐ
一生つかいきれないミシン糸…
一生つなぎきれないビーズ…
それよりなにより
きっと
のこされてたら捨てるひと
困るもの
また
どっさり見つかって
ちまちま
ちまちま
ひたすら作業
安心して
うつくしく捨てる
のための
お仕度をした
日野原重明先生の言葉
書き取ってあった
別れとは
出逢ったことの本当の意味を再確認すること
そう
結んであった
そっか…
捨てる
も
別れだ
きちんと捨てて
ここに
いま
ある
幸福
ここまで
出逢った
つながってくれた
ありがたい
縁
おろかにも
見失いかけ
ただ
我吾の
悪
絶望に
のみこまれた
悪
われひとり悪
安心へ
平和へ
つなぐ
捨てる
という別れ
ひとつでも
ごめんなさいと
ありがとうと
祈りと
しっかり
捨てるんだ
よきこと
ひとつも
かなえられないおろか…
ただ
無心に
捨ててこられたことは
つながってくれていた
よきひと
よきこと
の
おかげなんだなあ…
って
手がこわれそうになりながら…
正座してて
足が痺れてきたら
坐禅の半跏趺坐にして…って
ちまちま
つないだ
ぜんぶまではできなかった…
それでも
捨ててゆく
は
こころ
ひらかれること
って
ようやく
ようやく
わかりかけてきて
ありがとう
と
祈った
祈って
捨てるお仕度していた
ありがとう
道元さま
お伝えになった
正法
わたしにはとんでもなく難解で
困難とおもっていたけれども
かなで書かれてるんだなあ…
って
いまさら?
すごい先進的
ありがたいなあ
って
おもった
捨てる
が
別れが
もやもやふらふら脳みそも
すっきりと
きよめてくれて
その
空白に
ほんとうの
まことの祈り
と
出逢うことが
かなえられるならば…
と
すこし読んで
また
お祈りした
逢うべくして
出逢い
やがて
かならず
別れがある
ひとつ
は
ちまちま
ちっぽけだけど…
うつくしく
捨ててゆく
光の
ほうへ
ゆこう…
ありがとう
雨の夜です…
倒れないように
夜は
眠れているように
祈ります
平和へ
あかるいところへ
つながってゆけますように…
無事にいてください…
かならず
かならず
無事にいてください
ありがとう
また
明日
おやすみなさい