ふつうのひと
ふつうにすること
あたりまえにすること
たぶん?
だけど…
そのくらい
なにひとつ
ふつうのこと
ないらしいんだけど…
テレビ
ちょっぴり
みた
ってだけで
ものすごい
罪悪感
きた
どうしようもなくなって
ただ
祈り
ただ
ごめんなさい
と
懺悔した
朝
あたたかくなりそうな気配して
春…
と
おもったら
猛烈な
焦燥感
不安感
きた
いちにち
今日も
あたえてもらったねえ
シーちゃん
と
独り言
そして
祈る
お経
独り言の仲間?
もはや
なにか
ねがうでもなく
なにか
のためでもなく
そうして
お家のお寺の
曹洞宗のお経
の
あとに
いちばん
おしまいに
證空さまの
心得の文を
おとなえする
それから
南無阿弥陀佛
十遍
そうして
そうして…
ようやく
こころの
嵐
波
ちいさく
ちいさくなってくれる
なっては
くれないこともあるけれど…
生きて
あること
いちにち
あたえられたこと
は
ただ
ありがたくなってくる
いま
ありがたくなってくると
いのちとは
一生とは
この
どんなに
つまらぬ
いのち
一生も
いま
ありがたく
この
一瞬
よろこびと
あるならば
こんな幸福は
ないなあ
と
おもう
うしろがみ
ひかれる
混沌のお家
ひとも
なぜか
とても
こわく
こわくなった…
終わり
かならず
やってくるいのち
一瞬も
とどまらぬ
とどめられない
たよりなく
よわい
自分
そんなもの
信ずることは
到底できないんだけど…
唯我独悪
と
パパ
みたいに
天国には行けない
と
そう
おもっているんだけど…
そんなわたし
にさえも
つながってくれている
みほとけの
縁
お寺
お墓
行くこともできない仏教徒
なんて
あるはずもないんだけど…
そんな
おろかな者をも
すべて
お救いくださる
と
誓ってくださった
阿弥陀さま
つながっていただいたこと
ありがたく
ありがたく
祈った
道元さまが
おしまいに
お念仏のように
おとなえしてたお経は
たしかに
お念仏だったろうなあ…
と
他力
観音力
兄上が
證空さまのゆえに
それは
こころの
やすらぎ
となってくれただろうなあ…
と
お祈りのたびに
おもっては
ひたすらな
ひたすらな
お祖師さまがた
おもう
生きてこられたなあ
春が
きてくれたなあ
と
ありがとう
と
お祈りした
ありがとう
眠くて
かなしくて
うしろがみひかれない
勇気りんりん
めざしてたんだなあ…
って
終わり
は
始まり
と
自分に
言った
おしまいに
パパが
テレビ
ラジオ
なんにも
いらなくなってしまった
遮光カーテン
閉め切った病室に
真っ暗の中に
ただ
ひとりいた
あの
パパの
きもち
すこし…
すこしは
わかるような…
いまになって?
ごめんなさい
ありがとう
って
お祈り
つなぐ
なんの
へだたりもなく
みほとけの縁
すべて
すべて
つながって
平和の道
つながって
平和
かなうと
よいなあ
と
祈る
お釈迦さま
おもって
祈りと
眠ろう
尊富士さんが
大怪我でなくて
よかったなあ…
同門
同郷
には
駄目を
押さない?
眠れていないし…
不毛な
確認は
しないでおこう
と…
あらためて
みるの
やめた
師
よき師
やはり
へだたりもなく…
と
祈るばかり
いちにち
無事
終わっていますように
いま
おだやかに
いてくれますように
かならず
かならず
無事にいてください
ありがとう
また
明日
おやすみなさい