シーちゃんと

時々はシーちゃんとこっそり泣こう

street cat のように

野良猫の写真集を捨ててしまっていた

いつのまにか

 

さっき

自分の部屋の本棚を

見たら

 

何だか

胸騒ぎして

嫌な予感して…

 

 

コロナウイルスの感染拡大

とうとう

ステージ3直前

というニュース

 

 

みんな

みんな

無事に…

 

今日は運動はお休み

お膳をあげて

 

お経をあげて

 

 

本棚を

こわごわ

見なおしていて

 

 

なかった…

 

いつ?

 

捨てたことも

 

忘れた

 

 

記憶にない…

 

 

 

 

猫たちは

野良で

外猫で生きる場合は

家猫の半分以下の命を

 

過酷に

生きる

 

悲惨に

 

無惨に奪われる命も

数えきれないほどある

 

 

そういうところを

考えて

 

見つめていたはずのわたしが

 

いつだ…

 

 

いつのまにか

小さく

自分の傷つきだけに

 

閉じこもっていた

 

 

 

 

 

street cat のように

 

無心になれるか…

 

生きてゆけるか…

 

もう一度

 

 

 

いま

泣いている

わたしは

 

ママを

愛するゆえに

泣いている

 

もう

悲しみではない

 

 

街角の

 

路地の

 

傷ついた野良猫を見つけて

 

何とか

確認して

どうにか

 

捕獲しようと

 

無理なんだけど

一心不乱に

追って

 

でも

いつも

 

涙も流れて

 

 

同情でも憐れみでもなくて

 

愛おしくて

ただ

 

ただ

ひたすら

 

愛おしくて…

 

自分は

無力で…

 

 

 

愛するもの

愛したこと

 

愛は

消えない

 

 

 

生きてゆこう

 

たとえ

 

愛するものを

失って

 

孤独であろうと

 

生きてゆこう

 

 

生きる

ということは

それだけで

 

ひとりではない

ということ

 

迷惑をかける

誰もが

誰かに

 

お世話になる

 

誰もが

誰かの

足りないところを支える

満たす

 

そうでなくては

誰ひとり

生きてゆけない

 

支えてくれている人たちのために

毎日

いまも

祈る

 

 

生きてあるものは

きれいに消滅することは

決してできない

 

 

屍をさらし

 

腐敗して

 

 

生きることの

最後の大仕事は

生ききること

 

最後には

 

身内や

 

見知らぬ人たちに

 

支えられることで

その仕事は

ようやく

完結する

 

命の

幕ひきは

 

決して

自分だけではできない

 

終わらせることは

できない

 

 

絶望して

嘆いて

 

苦しんで

 

悲しんでいた

 

悲しくて

泣けると思っていた

 

絶望は

拘り

 

傲慢

 

 

悲しみは

 

執着

 

 

 

 

愛しているから

 

愛おしいから

 

せつなさに

会いたさに

 

泣いていた

 

それだけだった

 

だから

泣いたって

いいのだ

 

 

愛する人

 

その残りの人生を

 

絶望に

悲嘆に

 

後悔に

 

泣きながら

 

むなしく

 

脱け殻で

生きることを

 

誰も

望んではいないはずだ

 

ママだって

 

 

ママが

身をもって見せつけた

示してくれた

 

死ぬ

ということ

 

生ききる

ということ

 

わたしは

ずっと見つめて

 

わずかの

かすかな命の

 

よろこびや

 

痛みや

悲しみ

 

最後の最後まで

つづけられた

協力する意志

 

生きる

意志

 

愛する

という

意志

 

 

忘れてはいけない

 

忘れない

 

ありがとう

 

ありがとう

 

皆さんが

ご無事に

お元気にいてほしい

 

 

 

今日は

 

今日も

生きよう

 

 

 

あなたも

今日

 

生きていてください