シーちゃんと

時々はシーちゃんとこっそり泣こう

罪深いわたしであるがゆえ

お経

どうしても

おとなえできない

そういうこと

このところ

よく

あるなあ…

 

死のお片付け

こころしてからだ

 

あれから

もの捨て

もの始末

さあ

始めようと見渡すだけで

 

どきどき…

 

はらはら…

 

かなり

必死なおもいしている

自らを

はげましてる

 

そんな

危なっかしいきもち

つづくなあ

シーちゃん

 

シーちゃんの掛けものも

そろそろ洗って春らしく?

とか

おもいついたんだけど…

 

今日は

やめといた

 

凍傷?未満??だったかも…

手指は

まだ穴が開いて腫れている

 

耳は

黒紫になって乾燥している

 

よく

腐って?しまわずに

たえてくれたなあ…

よく

生きて

冬をこせたなあ…

とか

 

 

もっと

もっと

おそろしい

こころと

あったんだなあ…

って

 

春が

おしえてくれる

 

春を

おしえる

と言えば…

 

なんで?

カルト

おしかける??

 

こころ

おちつかないから?

おかしくなる頃だから?

 

どうして

まっとうなお寺さんは

ひと生きるための教え

今日を

いまを

 

生きてゆくため

 

やすらかな

平和なこころへ

たどりつけるような…

 

誰もが

生きてゆける

今日が

いまが

ありがたい

 

そう

祈りと

自分と

なんとか

おしまいまで生きよう

おもうことができるような

 

お釈迦さまの

みおしえを

ひとつ

 

ひとつ

 

こつこつ

飽くことなく

どこまでも…

 

つたえてくれたり

しないのかなあ…

 

やっぱり

春のカルト襲撃?

かなしくなるなあ…

 

 

罪深いわたし

 

われひとり悪

 

なんどきも

忘れることないように

 

戒め

懺悔して

 

ごめんなさい

ありがとう

つなげて

ようやく

生きてる

 

罪深いひとりを

わたしを

ひとり

生きてるゆえに

 

罪深いわたしであるがゆえに

 

たどりつけた

のかもしれない

いま

 

この

おもい

 

祈り

なのだろう

おもう

 

 

もっと

お釈迦さまのこと

みおしえを

素直に

 

自然に

おもったまま

たずねられる

お寺さんならば…

 

ねがったこと

あるなあ…

それで

あの大般若会へ

意を決して?

 

ものすごい勇気ふりしぼって!

出かけてゆけたんだっけなあ…

って

 

 

わたしに会えるのをたのしみにする

って

言ってくれた女性

やっぱり先輩の年かさの方だけど

 

お寺の話してた

総本山は永平寺!って

とても誇らしげだった

 

永平寺にも

総持寺にもお参りに行ったという

 

そうだった…

いつかの夏

あの

見かけなくなった女性と

立ち話してたとき

 

まあ!

って

 

お花の彩りがとても素敵ねえ

って

 

わたしが選んだお花たちを見て

そう言ってくれてたんだなあ…

って

 

おもいだした

 

 

 

死のお片付け

そう

おもってから

 

ますます

お寺へは

ゆけるきもち

なくなってしまったなあ

 

罰当たり…

 

悪…

 

 

親鸞上人でさえも

 

念仏

へと

その

真の信心

得たのは

 

容易でなく

一足跳びとは

ゆかなかった

というのだから…

 

 

そうして

 

某、閉眼せば、

賀茂川に入れて魚にあたうべし

 

のみ

遺したという…

 

 

祈り

には

 

お寺

 

お墓

 

いらないなあ…

 

こじつけ

でもなくて

 

ただ

祈り

 

ただ

いま

ありがたく祈る

おもい

 

罪深いゆえに…

 

どこからか

こんこんと

わきでてきて

 

それで

 

それで…

やっと

 

ようやく

ここまで

生きてこられたんだなあ

 

 

ありがとう

って

 

ごめんなさい…

 

祈る夜

 

 

祈る

祈る

夜です

 

ありがとう…

 

 

無事

祈ります

 

平和

祈ります

 

生きよう

一所懸命

生きよう

って

 

ありがとう

祈る

夜です

 

 

倒れていないように…

 

 

かならず

 

かならず

無事にいてください

 

 

ありがとう

 

 

また

明日

 

 

おやすみなさい