お釈迦さまの
みおしえ
いつも
いつも
いたわり
に
あふれる
自身は
大変に高貴な身の上
だったにもかかわらず
ひと
すべて
いたわる
あたえられた
今日
ありがとう
と
めざめた
くるしくて
いたたまれなくて
とうとう蕁麻疹もでてしまった昨夜
寝汗をかいていた?
掻きむしっていた
アトピーアレルギーで
しみついた
禁
絶対に掻かないこと!
ずっと
睡眠中でも
まもられて
いつもなら
掻くことはない
というのに
それだけ
一所懸命
必死に
眠っていた昨夜
とおもわれ…
その証明?
明け方は夢をみられた
いつもならば
悪夢になってしまう猫
おしまいの猫
愛する猫
今朝は
二匹!
学びにともに旅にでた
あの二匹が
しあわせに
のどかに
あらわれ
時系列も
場面も
めちゃくちゃ混乱してたんだけど
姉上さまとお買い物したあとで
たくさんの豚肉を始末していた
味付けして小分けにし冷凍するところで
そんなわたしを
横に
お行儀よく
二匹お座りして
ただ
くるくると
たのしそうに
みていてくれてた猫たち…
ありがとう…
って
起きた
いっとき
であれ…
まったく
妄想が
晴れる
ああ…
お釈迦さまのおかげ
と
おもっていた
それから
すこし
不穏な
ことを
おもっていたんだけど…
仏教
かたるカルト
完全に
解明も
解体もされず
その頂点?にいた人間
すでに死刑
となってしまったカルトのこと
あれから
苦手な
言葉
ひとつふえてしまったんだなあ…と
妄想…だ
シーちゃん
って
莫妄想
って
昨日あれから
何度も何度も
何度も
自分に言って
自分
食べすぎてる自分
逃げて
逃げている自分
それら
罪悪と
わかりつつ
なお
どうしようもないまま
生きている
いまの
自分
そこから
わいてしまうのだろう
と
これも
わかっているのに
恐怖にのまれてる自分
ぜんぶ
ぜんたいこわい
という
恐怖
それでも
なんにもできないまま
身動きとれないまま
それでも
毎日
お掃除して
お祈りして…
食べて
眠って
ただ
ここ
きよらかに
と
死のお片付け
つないでもらって
いつ死んでもよい場所
と
さっぱりと
晴れやかな
安堵へ
と
勇気りんりん
へと
ゆきつく
最後の手段
であるかのように
おもいつめてしまうのだなあ
おろか
おろか…
いま
世界中のひとたちが
孤独に
くるしめられている
ことに
若者の孤独は
これからの世界を
つくりあげなくてならない
若きひと
小さいひとたちの
孤独は
とても
痛々しい…
ヒト
四十で老人
そこからは
いつ
なにが起きてもおかしくはない
ヒト
というのに
現に
わたしの愛するひとたち
みんな
もう天国…
百年時代とか
当然のように
言うな…
って
なんだか
かなしい
へと
たどりついてしまう
多くの
若いひと
小さいひと
おもう
ヒト
胃の
容量は
2リットルで
食べられるのは
その容量分だから
食べたかったら食べよう
と
今日は
食べた
生きていることは
生きぬくことは冒険
って
また
あの
孤独のalpinistの
冒険家の本
読みたいなあ
読めたらなあ…
って
想像していた
法曹界出身と記憶してた
政治家の
言葉
ひさしぶりに聞いた言葉
とんずら
彼女は何しろ
言葉を武器にするひと
なんだろうから
この
とんずら
って
たぶん
正しい日本語?なんだろうなあ?って
やくざ
も
古い言葉
八九三と書く
語源は
八九三という博打があったことに由来している
賭け事などしていて
まっとうな仕事につかないひとのこと言うのだ
どうせ俺らは
やくざな兄貴…っていう
でも
寅次郎は
野師
的屋してたんだからなあ
とか
言葉
言葉…
言葉に
なにを
こめる?
と
おろか
が
つなげてしまった言葉ならば
永久に
封印して
永遠に
さんげしてゆく
と
おもっていた
それにしても
妄想に
つくりあげられ
犯された罪悪…
あれらにより
仏教
お釈迦さま
だけでなく
仏教ヨーガや
アーユルヴェーダまでも
ねじまげられてしまった?みたいに
おもわれては
おそろしくて
かなしかった…
いまも
かなしい
いま
きり
の
いのち
いま
いたわりと
いたわりの
こころ
と
いま
みつめてゆけるように
今日も
お掃除して
へろへろふらふらに
なってたんだけど…
ありがとう
って
ありがたく
ありがたく
なってた
ありがとう…
ありがとう…
なんにも
できず
ごめんなさい
ありがとう
平和な
世界
想像できる
つながってゆける
道
ひとり
と
ひとり
の
道
つながって
つよく
つながってゆけるように…
平和
祈ります…
かならず
かならず
無事にいてください
ありがとう
また
明日
おやすみなさい