シーちゃんと

時々はシーちゃんとこっそり泣こう

こころがある

まいにちの

手で洗うお洗濯

まいにちのお掃除

 

到底

すべて

お掃除

かなわない

 

まいにち

いるところ

それに

順繰りでまわるところ

つなげてゆく…

 

 

 

こちらも

地震

 

いよいよ

地中ふかくは

活動が活発化している

 

いつ

いのち

終わるのか

 

わからない

それは

いつも

 

いつでも

そうなのだけれど…

 

 

わたしは

はぐれてしまってて

 

ひと

ひとらしき生活

とは

言いがたい

いまなのだ

 

また

すこし

本を繰る

 

これまで

ほしいもの

もとめるもの

すべて

 

お釈迦さまや

お祖師さまがた

その

書物に

 

あった…

 

 

なじられ

そしられ

 

生き死に

まで

 

ばっさりと

切り捨てられるかのように

激しい言葉を吐き出されて

 

 

それでも

そのひと

そのひと

それぞれ

ひとで

 

こころがある

 

むしろ

おもいなやんで

ちぢこまって

 

あるときには…

 

殺されるの?わたし

 

などと

 

そこまで

おもいつめた

よわさ

 

おろか

自分に

言い聞かせていた

 

夜となく

昼となく

 

泣けたなあ…

 

ひとり

おもった

 

 

もう

会うこともないだろうひとたち

 

なのに

 

世間は

せまくて

 

田舎は

ほんとうに

そうで…

 

 

自分に

こころがある

ということさえ

 

おぼつかなくなってた

 

みのまわりの

不幸に

 

ただ

おろかのゆえ

 

かきみだされてしまっていた

 

 

 

まだ

ごちゃごちゃの仏間

ごめんなさいして

 

夜のお経

 

修証義

第一章

から

 

また

おとなえしてた…

 

ありがとう…

 

 

明日は

無い

シーちゃん…

 

 

 

夜なんだけど

 

ほうじ茶

すって

 

パパのコーヒーと

ママにはほうじ茶

 

おそなえした

 

いただいた

 

 

もやがかかったようになって

ぐにゃぐにゃになったようになってて…

 

謎に

よろよろ

ふらふら…

ずっと

 

ずっと

つづく

 

 

 

お経

おとなえする

資格

ある?

って…

 

なじられ

そしられ

わらわれている…?

いま

も?

って…

 

わたしが

生きてあるうち

 

ずっと

つづく…?

って

 

不信

 

 

妄想

 

邪心

 

 

それは

 

お釈迦さまを

お祖師さまがたを

みずから

 

うちすててゆくこと

 

ごめんなさい

お祈りしてた

 

 

ここに

うまれ

 

ここで

あたえられて

 

ここに

生活させてもらっている自分

 

ひとと

うまれてこられた自分

 

それで

じゅうぶん

と…

 

 

すでに

幾度となく

 

みおしえに

 

書物に

 

つながってくれた

すべての

おしえに

 

知らされて

知らされてきていて

 

そのたび

 

ありがとう…

 

ひとの

こころ

とりもどさせていただいてたんだなあ…

お仏壇のまえ

ひとり

おもった

 

 

 

釈尊がさまざまな戒律の法を

それぞれ立てられたのは

みな

よくない人々や

愚かな人々のためである…

 

みな

めいめい

すでに心をもっている

心があるなら

よいわるいを分別することができよう

 

手も足もある

合掌したり歩行したりして修行するに

もうそれで充分ではないか…

 

人間界に生まれたものは

みな

悟りの道を行ずる資格をもっているのだ…

 

今日

ただいまとばかり

みほとけに従い

行じゆくのでなければならぬ

 

 

 

 

 

今日

いま

 

無事に…

 

かならず

 

かならず

無事にいてください

 

 

ありがとう

 

 

また

明日

 

 

おやすみなさい