シーちゃんと

時々はシーちゃんとこっそり泣こう

善悪の業

迷って

迷って

 

逃げて

 

挙げ句の

 

最大の

最後の

迷惑は…

 

だろうなあ

シーちゃん

って

 

アレルギーと

逆流や胸焼けと痛みと

おそろしくなってしまって…

 

あの

劣化したものを

取り除くことできたお部屋

ゆけなくなってしまってて…

 

せっかく

一所懸命

ひたすら

かなえてもらって

 

捨てられたのに…

 

肝心の

きれいにするという

 

きよらかに

という

 

ねがう

ところ

こころには

あふれてるのに

 

やっと

鼻水

おさまってくれて

 

でも

 

頭痛

耳鳴り

筋肉痛

 

のどや食道の痛み

定着してしまった

 

ふらふら

息苦しくて

仏間の壁のお掃除した

 

カビ部屋なんて言って…

それから

 

ガス室

なんて

 

おそろしい

言ってならないこと

言ってしまってた…

って

 

ごめんなさい…

 

ごめんなさい…

って

 

 

こんなんだから…

どこまでも

 

どこまでも

悪だ

わたし

って…

 

 

ガス室

いまだに

 

現実だ…

 

全身が

筋肉痛で

 

くるしくて

かなしくて

 

なにやら

こわくて

おそろしくて…

 

なんにも

できそうにもないのならば

 

ひたすら

ひたすら

祈ろう

おもった

 

 

お寺へも

お墓へも

ゆけなくなってからというもの

 

もとめていたもの

 

ねがっていたこと

 

いったい

なんだったのだろう…

 

ばかり

おもった

 

死なないで

いのち

つなげていただいて

 

いちにち

いちにち

あたえていただいた

今日

なのだから

 

祈りも

むなしくしてしまった悪

なのだから…

 

もの始末

死のお片付け

 

きよらかな

ところへと

たどりつけるように…

 

ひとつ

ひとつ

つなげてもらえたのに…

 

 

お悟り

なんて

 

とっくに

というか…

 

はじめから

すでに

 

われひとり悪

とは

 

おもい知っていて

 

なのに

 

なお

気づけば

かさねてしまう

あって…

 

 

迷惑かけて

生きること

しか

できなくて

 

ひっそり

かしこく

生きられもしない

自分とは

 

いったい

どこまで

おろかなのかと

 

おそろしくて

死にたかった

 

それでも

かさねてしまう悪…

 

 

死なず

 

生きて

 

あたえられた

いちにち

それを

 

といえど

ひとと

生まれてこられた

自分を

 

憎んで

恨んで

呪ったならば

 

生きて

地獄

 

それだけ

わかった

 

 

死のお片付け

いのちがけに

つなげていただこう

おもった

 

 

仏間に

祈り

 

すわる

という

ただ

そのこと

だけ

 

ひと

である

わたしだ…

 

 

戦争

終わらせるためには…

 

平和へと

 

その

道へ

ゆきつくためには…

 

お釈迦さまの

みおしえのような

 

お悟り

のような…

 

善悪の業

こえて

 

こえて

ゆくため

 

つながり

なくていけないんだろうに…

 

 

どうして

 

どこにも

どこにも

あかり

みえてきてくれないんだろう…

 

 

 

いま

しか

なくて

 

祈る

ばかり

 

おろか

 

祈り

 

ごめんなさい

 

 

それでも

祈り

つなげていただいてる…

 

まったく

自分の

ちから

でなく

 

いま

ある

 

 

ありがとう

 

 

ごめんなさい

 

 

 

戦争が終わりますように…

 

世界が平和になりますように…

 

 

 

 

今日が

無事に

 

何事もなく

終わってくれていること

祈ります…

 

 

かならず

 

かならず

無事にいてください

 

 

ありがとう

 

 

また

明日

 

 

おやすみなさい