シーちゃんと

時々はシーちゃんとこっそり泣こう

あの手のあたたかさ

物事には

突き詰めなくてもよい

いや

突き詰めてはいけないことがある

 

そんな

 

大人として生きる

縮図みたいなものが

 

うっすらと見え始めたのは

中学二年生の終わり頃

 

後妻さんだったけど

本当のおばあちゃんと

まったくかわりなく大切な家族として

普通の日常を

ごく普通に過ごしてた

おばあちゃんの小さな異変からだった

 

おばあちゃんは着物が好きだった

すでに着物は民族衣装という位置にあり

ハレの日に着るか着ないか

くらいの時代になっていた

 

誰も普段着には

着物なんて着ていなかった

 

節約家だったおばあちゃんの着物は

もともとの品物はよいけれど

手入れもされて清潔なのだけれど

 

普段着で着物を着る人が

皆無なこともあり目立ち過ぎ

なんとなく

かなしい

そんな感じがした

 

 

異変は

突然起きた

 

「うちの金魚のフンちゃんに

 お箸を渡してあげてちょうだい!👵」

 

謎の行動

 

家の前を通りがかった

わたしを知らない生徒に

おばあちゃんはお箸を持って

そう懇願する

一日に数回

午後の帰宅時にもあったようだ

 

少なくとも

わたしが知るまでになるほど

その謎の行動は繰り返された

着物は

特別に目立った

 

奇行は

次第に増え

 

一日に何度も馴染みの魚屋さんへ行き

猫に食べさせていたイワシなど

大量に買って来てしまう

 

当時飼ってた猫は巨大な雄猫

それでも

食べきれない…

ママはいろんなお料理を工夫して

イワシコロッケなる傑作まで完成した…☺️

 

 

ちょうどその頃

ママが働き始めていた

 

わたしが学校からもどるまで

おばあちゃんはお家にたったひとりだった

 

小さくて痩せていたおばあちゃん

大きな鍋いっぱいのカレーを

ひとりで全部たいらげたり

 

お砂糖が毎日大量に消えたり

 

奇妙な行動は

次々に増えてゆく…

 

粗相も

着物ではとても追いつかなくなって

ママがお洋服をたくさん買ってきた

二人で一生懸命お風呂に入れて着替えさせ

 

おばあちゃんのお部屋をお掃除して

消毒して換気して

何より大事な

見守りをして

 

とにかく

手をつないでいた記憶

 

熱い手を

しっかり握ってた…☺️

 

 

ヤングケアラー

という言葉を知ったのは

最近のこと

 

あの頃

わたしが自然に引き受けて

毎日つづけていたことは

そんなふうに呼ばれる類いの

おばあちゃんのお世話と見守りだった

 

 

くたくたになり

 

不登校にもなり

 

誰にも本心を伝えられず

 

 

よくひとりになると

ひたすら

涙が流れた

 

親友もいて

級友たちもやさしく

先生とは文学の話を深くできる関係

それでも

 

誰にも

言えない

 

そんな状態はやがて破綻するのだが

かなり長い時間を家族で頑張った

やがて

認知症という診断結果

入院して

 

施設のお世話になることになった

 

その間に

わたしは体が弱って病気にもなり

入退院を繰り返した

 

 

おばあちゃんが

 

「助けて!👵」

 

と叫んでいたことを

思い出す…

 

必死にお世話するママやわたしには

かなり厳しい言葉だけど

きっと

今までできていたことが

できなくなって

 

わからなくなって

うまく伝えられなくなって

つらかったんだろうなあ

 

助けて欲しかったのだろう…

 

 

ママは自分から施設に入ると

姉上さまに言ったようだ

 

パパの介護があり看取って

わたしはお家に帰って来た

ママのそばにいたかった

 

ママが施設にゆくと決めたのは

おばあちゃんのことがあったから

迷惑をかけたくなかったんだろう

 

 

施設で高熱を繰り返し

わたしもいっしょに病院に行くという時

 

「お世話になりました

 ありがとうございました」

 

ママは施設の人たちにお礼をして

深々と頭を下げた

一昨年の九月

 

まだ暑い初秋のこと

 

知っていたのかなあ?

 

自分の命が

あと

もう少し

だってこと

 

「助けてください

 お願いします」

 

入院中

ママはわたしに言った

 

「はい!☺️わかりました

 助けます」

わたしは答えた

 

ママの手を握っていた

お鼻に入れた栄養のチューブを

抜いてしまわないように…

 

お家に帰っても

 

ママの手

あたたかかった

 

 

わたし

高校卒業後進学を断念し

その頃わたしはほぼ男の子のような女子で

 

憧れのアメリカンロックのジャケットにあった

neon signが大好きで!

自分で作ろう✨って

看板屋さんに潜入した

これは

なんと

ママの職場のつて☺️

 

職人の世界は生やさしいものでなく

企画制作取り付け全てを担うため

高所恐怖症で運転免許もない

ましてや女子には無理

なのに

事務と兼ねて

目をかけてもらったり…

 

根性無し…

やがて挫折し

 

高校の先生が

憔悴したわたしに

新しい職場を紹介してくれた

 

なんで

そこを思い出すんだ?

 

そうだ

あたたかい手!!

「助けてください!👨」

だ!!

 

 

わたし

自分からは

「助けて…」が言えない人…

 

しかし

人生に度々

「助けてください!」

受け取っている

 

マサヒロくん…

体が大きかったけど

 

小学生?

6年生だったろうか…

職場に来る子

お母さんと

「金魚のフンちゃん!

 恋人来たよ!」

 

わたしは

ここでも手を握っている役目☺️

なんたって

マサヒロくんは

わたしとしか意志疎通しない…

 

自閉症だった

漢方薬を処方してもらいに来ていた

 

薬局の受付してたわたし

頭は男の子みたいショートカット!

苦渋のピンクのミニスカ白衣で…😒

 

ゴーモンバツゲームみたいなお仕事

おおおぉ…

 

そんなわたしに

 

マサヒロくんは

「おねえさん!👨」

心ひらいてくれ

 

飛び跳ねたり

走り出したりしないで

ちゃんと

手をつないで

お話してくれたっけ…☺️

 

楽しかった

マサヒロくんといるとき

 

 

「助けてください!

 おねえさん!👨」

 

そう言ってもらったけど…

 

 

ごめんね

上手に助けてあげられなかったよ

マサヒロくん…

 

 

東田直樹さんに

似ていたマサヒロくん

 

会いたいなあ

 

手をつないでくれて

ありがとう…

 

 

助けて

言える自分に

なりたいです

 

ありがとう

 

 

へこたれから

 

 

とても

せつないおもい

 

こみ上げる

 

 

星がきれい…☺️

 

 

あなたが

笑っていますように

 

 

ありがとう

 

また

明日