シーちゃんと

時々はシーちゃんとこっそり泣こう

smile!☺️

笑おう!

 

っていうと

 

あっはっは…

 

みたいな

 

サンタのおじさんみたいな?🎅

もうすぐだけど…

 

笑いヨガ??

なんていう謎の世界みたいな…

 

 

めげてる…

 

逃げたくなってきた

片付けのことだけど

 

結局

誰も使わない

誰の役に立つでもない

片付けたところで

 

アレルギー起こしながら

チマチマやって

 

なんだかなあ…😿

迷宮での

タタカイ

 

ママは?

うれしい??

きれいになったら

きれいにするのに

タタカッてはいけないね…

 

タタカイ

といえば…

 

アメリカの大統領選挙

トランプ🃏は

タタカッてばかりな印象だけど

war は No👐?だったの??

 

世界中の

紛争や困難な地域を考えると

戦争は終わっていない

絶望的な気持ちになる

そこに

コロナウイルス

 

 

祈りは

行動して

実現しなくちゃいけない

 

平和の実現

 

そのために

瞬間で!

できること

 

smile!☺️

 

不気味でしょ

ひとりでニコニコ☺️

上機嫌で暮らすなんて

 

一度二度

三度?

死にかけて

 

生きていることは

つらくて苦しい

 

でも

生きているのは

うれしくて

 

生きていることだけでも

なんだかたのしい

 

って

思う…

 

 

 

コロナウイルス

いっしょに

隣り合わせに生活し始めて

気づいたのは

 

ここを

好機と

試練と

新しく何か

始めたり

 

身を削って

守ったり

 

そういう人たち

いれば

 

欲は

そのままで

かなわず

 

傍目には

やぶれかぶれに?

 

無駄打ちしたり

切り捨てたり

 

絶望したり

 

迷いのなか

不安のなかで

 

はっきりではないけれど

もともとの

その人の性質思考が

ここでも影響しているんだろうけど

 

 

道は

分かれるなあ…

 

普段

日常的に生死を見て

頑張っても

失われるときは

失われてしまう命を診る

お医者さんたちは

やはりこういう場面にも

強いんだろうな

と思ったけど…

 

おんなじ人間だし

とも思って

 

医療者の皆さんのため

祈る日々

 

 

三浦綾子

随筆集の中で書いていた

戦争に負けた後の絶望のことを

思い出した

 

三浦綾子

作家で

クリスチャンだけど

 

戦時中は

ごく一般的な日本人の

多神教的な宗教観の中で生きていて

 

その頂点には

天皇の存在があった時代だから

 

自然に

与えられた教科書の通りに

そのような教育を子供たちにする

純粋で熱心な教員だった

 

 

敗戦後

それまでの常識は白紙にもどされ

信じていたものは崩壊する

 

教科書は指示通りに

黒く墨を塗るように

生徒たちに

教師が強制しなくてはいけなかった

 

三浦綾子

その天真爛漫さ故に

ひどく落胆し

真実とは

本当に信ずべきものは何なのか

 

自分は

何者か

 

 

苦悩しつづけ

ついには

脊椎カリエスに侵される

 

結婚を誓った医学生

同じく結核に倒れ

一縷の望みをかけた手術ののちに

天国へと旅立つ

 

長くギプスに固定され

身動きできず

 

彼の葬儀にも

参列は

かなわず

 

自暴自棄に

怠惰に生きる綾子の前に

のちに

夫となる光世があらわれる

 

 

光世は

天国に行った彼と

面差しのよく似た

敬虔なクリスチャンで

 

亡くなった医学生の彼の

導きによる

二人の出会いであった…

 

 

 

 

ちなみに

三浦綾子の信仰していたのは

プロテスタント

偶像崇拝はしない

教会にマリア像はない

わたしが

不本意入学といわれる方法で

潜入した学校も

プロテスタント系で

 

礼拝堂は木造の

整然たる簡素で清潔な設えで

とても心が落ちつく

大好きな場所だった

 

カトリック ロシア正教などは

豪華絢爛な細工が随所に施され

宝石のようなステンドグラスが輝き

美しいマリア像を飾ってある

 

 

いま

宗教の世界は

違いや隔たりを越えようと

 

お互いの理解を深め

手をつないで

 

この困難な時代に

人々が

しあわせに安全に

平和に生きてゆけるように

 

信仰という形ではなく

 

人が人を

思いやる心で

 

平和の実現に向かって

努力している

 

お経を毎日朝夕にあげて

ママを供養しようとしているわたし

 

実は

以前から言っているように

 

宗教は

ひとつ

思う

 

 

生きるために

かたく

守らねばならないもの

忘れてならないもの

 

人間が

人間を愛して

信じて

生きることのしあわせを

守るもの

 

それが

宗教という形になった

と思う

 

では

神は?というと

 

神さま

上の上なるところにいて

あるいは

 

隣に

寄り添って

 

見守っていてくださる存在

そういう

 

ごく身近な

あたたかい存在を

信じて

感じて

生きている

 

 

おおよそ

人間がわかることだけで

この世界がつくられたとは考えられないし

何しろ

 

わたし

不思議を待っているから

 

見えないものを

信じる

 

愛も

友情も…

 

ひとりぽっち!☺️

でも

 

 

神さまがいてくださる

と思えば

 

不機嫌では

いられないでしょ?

 

不機嫌は

殺人と

同等の罪

 

あらゆる宗教が

そう説いている

 

きっと

人は

ほっとくと

 

不機嫌になり

絶望したりする

 

揺れ動く生き物なんだろう

と思う

 

そして

人が為すことは

誰でもが

そのような

 

原罪のような

 

みたいなものが

 

どこかにはあるのかもしれない

 

弱く

罪深いわたしは

そう考えたりもする

 

たまたま

愛してくれる家族があり

育ててもらい

こうして

いまも

支えてもらい

 

何とか生きていて

 

平和を願っている

 

 

ひとりぽっちで

自分に

ほほえむ

 

平和の

いちばん小さなところは

 

smile!☺️

 

でしょ?

シーちゃん😸

 

戦争は

してはならない

誰もが考える

 

ならば

機嫌よく生きねば!

 

 

信じられない

考えられない

許せない犯罪も

人間の為せること

 

人間は

大きく違ってはいない

 

何が

道を分かつのか…

 

心に

常に置いて

 

 

平和のために

 

いちばん小さなわたしの

いちばん小さな平和を

つづけてゆこう…☺️

 

ありがとう

ママ

 

桜の木は

戦争のためでもありました

 

 

祈りは

決して絶望にはならない

 

信じて

祈っています

 

ありがとう

 

あなたが

笑っていますように!☺️

 

 

明日も

よい一日でありますように

 

また

明日