シーちゃんと

時々はシーちゃんとこっそり泣こう

せめて

米国

アメリ

American Dream?

 

そんな夢は

もう

どこにも無いな…

 

 

お肉

食べてたときには

米国産の赤身の安いステーキ

好き

ってときもあった

 

貧乏学生のとき!

 

パパから送られて来る美味しいニンニクを

バターで!

こんがりニンニクチップにして

 

その溶けた熱いバターで

あらかじめ

下ろしニンニクと

塩胡椒に馴染ませておいた

お肉を焼く…

あえて

しっかり!

 

和牛みたいにはせずに

仕上げの

お醤油たらり…

とかも無し

 

バターたっぷりのせて!

ニンニクチップのせて

 

フライドポテトは

ケチャップまみれで食べる

 

 

固いのはno problem

安くてBIG!!

アメリカっぽい気分なのだった…

 

よく噛むのも赤身も好き

なにより…

なんだか

面白い?から好きだった

 

あの同級生の女の子も…

 

これぞ肉だね!!

その

大きさで

見た目からして大満足で

 

ジャンクっぽさ?

馬鹿馬鹿しさ??

気分で!

 

二人には

ご機嫌な

ご馳走だった

 

 

彼女とわたしの

夢は

 

某有名高級スーパーで売ってた

おもちゃ?みたいな

だけど

本物の

色とりどり原色の

丸いガムが入ってるmachineを

いつか手に入れて

お部屋に飾ること

 

食べる

先で…

 

ついに

かなわず…

 

 

彼女は

残して…

天国に行った

 

 

 

もう

お肉

一切

食べてないなあ…

 

 

今夜も

寒い

シーちゃん

救急車がすごい多い…

 

 

かなわぬこと

できぬこと

ばっかりになって

 

 

せめて…

 

せめて…

 

という

 

そういう

あさましいこころ

 

そんな

愚かな祈り

愚かな自分を

自分に

許すのは…

 

やめなくては

おもった

 

しっかり…

 

しっかり…

って

 

 

祈り

きよらかになるように…

 

 

たとえ

いまだに

絶望みたいな

 

重たい

重たいもの

しこりみたいに

どっかには

まだ

 

隠れてて…

 

居すわってても…

 

見えて

 

取り込まれて

飲み込まれても

 

泣けて

 

かなしみを

くりかえし

味わっても…

 

 

たいせつな

愛する人たちを

おもって

生きてるんだから…

 

こころは

 

わたしは

ひとりぽっちじゃない

 

 

姉上さまに

助けてもらって

生きてることは

 

そして

こうして

今日

いま

生きてることは

 

この上ない

幸運で

 

幸福で…

 

 

ありがたいことで

 

 

せめては

祈りは

 

つよく

きよらかになってくれるように

 

 

しっかり…

 

 

戦争が終わりますように

 

世界が平和になりますように

 

 

早朝

目覚めたら

お経

唱えていたんだけど…

 

まだ

真夜中?

真っ暗の早朝の

お経…

 

ちいさな

ちいさな声で…

 

そのうち

だんだん

 

最初の開経偈も

次の懺悔文も…

 

朝は

般若心経なのに

般若心経も!

 

おしまいの

四弘誓願文も…

 

みんな

あきらめて

省略…

 

 

三帰礼文!!

だけ

おりんも鳴らさず

こっそり

ひっそり

唱えてたの

 

なんか

それでもよかった?

みたい!

って

今日

知ったら…

 

 

なんか

どっか

壊れた?

 

また

泣けた…

 

 

天国の

彼女も

祈る人だった…

このところ

あの子のことばかりおもう…

 

会いたいなあ

って

 

 

ダダイズム

ダダから

禅へと

その眼差しの

方向を変え

 

鋭い祈りのような詩や文章

遺した

高橋新吉

古い本の帯には

著者「あとがき」より

抜粋された文章があり

 

 

「禅は仏教否定の仏教である」

 

あった

 

「千数百年前から

仏などはどこにもないと説いている」

 

それは

反宗教

反仏教のおもい

からではなくて…

 

「宗教否定の人達にも

絶大な魅力あるものたらしめたいのが

本書の主旨である」

とある

 

それが

「敢て『禅に参ず』と題した所以である」

と…

 

 

巷に

祈りとある人たちがいた時代では

もうなくなったという

嘆きの言葉だ

 

それさえ

すでに

四十年以上

まえのこと…

 

 

途方に暮れた…

気が遠くなった…

 

 

せめて

祈るならば

 

祈る人たちは

その

祈りは

 

否定も

争いも

無く

 

統べて

 

統べて

 

つながって

つながって

 

ひろがって

 

ひろがってゆくように…

 

祈った

 

 

 

四苦の

ひとつ

 

生があって

老があって

病があって

死がある

 

何人も避けることのできぬもの

 

つまり

ひとつなのだ

 

だから

いま

こうしている

いまは

 

この上なく

ありがたい

いまなんだなあ…

 

 

 

彼女のこと

天国の人たちのこと

 

生まれて来られなかった

お兄ちゃんのこと…

 

パパママを

おもって

 

祈った

 

 

ずっと

沈んで…

 

とても

疲れた

 

ゆっくり

眠りたい…

 

明日の

あたらしいわたしのために…

 

この

目を

 

かなしみと絶望から

生へと

向かわせたい…

 

たとえ

老病死に向かうしかないのが

だとしても

 

はじめの

与えられた

よろこびを

 

いま

それから

おしまいまで

 

忘れずに…

 

祈って

生きてゆきたい…

 

 

天国は

涅槃は

お浄土は

 

きっと

きよく

つよく

 

やすらかであるだろう…

 

ここも

世界も

きっと

同様に

なれるのだろう…

 

 

しっかり…

 

しっかり…

 

 

今夜も無事に終わって

明日のために

眠れますように

 

 

一日

一日

平和へ

ゆけるように

 

かならず

かならず

無事にいてください

 

 

ありがとう

 

 

また

明日

 

 

おやすみなさい