ごめんね
と言うと
ごめんね…
と
ママが
くりかえしてた
わたしのこと
じっと見て
ごめんね
と言う
ごめんね
ごめんね
ありがとう
ありがとう…
秋は
つらいな
寒い雨が降って
止んで
また
降って
ごめんね
って言って
ごめんね
って言われて…
それでも
やっぱり
一年ママといっしょで
よかった
苦しめたのかなあ
というおもいは
おごりだ
人が人のいのちのこと
長さ
決めていない…
ましてや
ごめんね
って言いつづけたママは
あわれではなかった
いっしょにいて
なんか安心して
しあわせだった
なのに
どうして
いつまでも涙がでるんだろうなあ…
秋の
さみしい雨のせいにするよ
修証義をおぼえようかな?
シーちゃん
いま
コロナの時代
戦争の時代に生きて
愛に生きて
苦しみと
平和を祈って
生き抜いた
瀬戸内寂聴さんのこと
今日も
おもってた
いまを
ここを
どう生きたらよいか
まるで
わからず
今日も
生きてる
ママの介護用品を
少しずつ整理してた
消毒やお掃除に使おう
いま
生きてること
これは幸福
これは幸運
今夜も無事にって
祈れることも…
ありがとう
かならず
無事に
また
明日
おやすみなさい