シーちゃんと

時々はシーちゃんとこっそり泣こう

五つ

明日は

パパを

いのちをかけて

産んでくれた人である

おばあちゃんの命日

 

五観の偈

昨夜の食事より

となえはじめて

 

今日も

冷えた仏間で食事をいただき

五観の偈の

五つ

となえていた

 

こころが

救われるのだった

 

働かざる者食うべからず

とは

聖書の言葉

 

曲解されて流布してもいるけど

 

とても

きつい

わたしには

 

 

五観の偈は

沖縄の

ぬちぐすい

という

食事のあつかいに似ている

 

ありがとう…

 

 

女性には

産んでもらったものの

ひとり

子もなく

女性の道のりを生きた

とは

 

生殖の面においても

まったく言い難く…

 

願ったこともなく

それゆえに

おもいもない

 

自然の流れ

としか

言いようもない

 

 

子を産む

とは

 

ふたつとなる

という

文学的表現もあるほど

 

あらゆる出産は

すべて

いのちをかけた出来事

 

ひとり

子もなく

ひたすら

子の立場からの

親への

おもい

 

つみかさねてきてしまった

卑小な自分には

 

わかり得ない

 

知り得ない

 

味わうことのない

けっして

踏み込むことのかなわない

こころの世界が

 

おばあちゃん

ママには

あったのだ…

 

おもい

 

 

そんなこと

いつも

ありがたく

尊くおもっては

生きてるのだけれども…

 

 

活かされることもなかったけれども

 

母性という

不思議なものは

 

何も

女に

限らず

 

人類に

限らず

 

生きとし生けるもの

すべてに

備わる

 

やわらかなもの

なのではないか…

 

仏心のような

 

祈りのような…

 

 

そんなことに

おもい至ったのは

 

このお家に生まれたからであり

この

たどった

すべての道すじのおかげであり

 

いま

今夜

いのちあって

 

生きている

そのおかげである

 

おもうのだった

 

 

祈る…

 

祈りは

いつのまにか

気がつくと

与えられていた

 

お仏壇で

手を合わせる

その時ばかりではなく

いつも

 

どのような時も

祈りのようにして生きる

ということ

 

ここで

生まれたおかげで

 

おばあちゃん

ママのおかげで

 

心身が

よわかったことの

おかげでもあるのだろう

 

 

この身

このこころに

祈りが

浸透してくれたこと

ありがとう

お祈りするのだった…

 

かなしみ

くるしみ

それらを

知ってのちに

 

それらと

いっしょに歩み

 

幸福を

わかり

守り

しあわせに包み

育ててくれた親

 

パパを

産んでくれて

ありがとう

祈る

 

平和を

祈る

 

 

戦争が終わりますように

 

世界が平和になりますように

 

 

ママの生きた人生は

避けられぬ辛苦にあった

 

婚姻という幸福と

その

縁からの

耐え難い辛苦

 

言うまい…

すべての人は

もう

天国

 

流産していた

という事実は

ずっと

封印されてた

 

 

大人になって知るのだけれども

 

男子

ふたり

という…

 

そのような

産科医の

言葉を

信じて

そののちに

 

姉上さま

わたし弟と

もうけてくれたこと

 

ありがとう…

 

 

もしも

さきの

ふたり

産まれてきてくれていたら…

 

姉上さましか

いなかったかも

もしくは

 

姉上さまも

いなかったかも…

 

けれども

 

すべては

縁に

つながっている…

 

五つ

 

すべての子を

さずかって

守ってくれたんだろうな

 

縁に

つなげてもらっていたら…

きっと

ねえ

シーちゃん

 

 

ありがたく

食べて

 

生きる

今日

 

ありがとう

 

 

かなしみを

 

くるしみを

知るならば

 

いっしょに

歩むならば

 

幸福は

まもられる…

 

ありがとう

 

 

寒い夜

 

八甲田は

雪❄️

 

風邪も

コロナも

インフルエンザも

どんどん

いっしょにやってくる😿

 

一日

無事に

終わってること

祈ります

 

かならず

かならず

無事にいて🙂

 

 

ありがとう

 

また

明日

 

おやすみなさい